思考力

情報マグネシウム

ここ半年以上、いや、正確には思い出せないのだが、情報インプットの量が凄まじく多い。「凄まじく」という副詞の遣い方が正しいのか分からぬが、とにかく、莫大な情報が激流の如く入ってくる。日々、新鮮な情報だと思いつつ、やはり落ち着いて振り返ると、1週間くらい仕入れなくても大して差し支えない情報だったりもする。コロナの新規感染者数の増減は、確かに深刻な問題の重要データとはいえ、回答答弁の首相の会見は、台本を読み上げるだけで、話が噛み合っていないのだから、情報を仕入れようとしても、あまり意味がなく、むしろ苛々が増すばかり。インフルエンサーの言っていることも、やはりどことなく、他のインフルエンサーが言っていることと被っているような気がしつつ、どちらに著作権があるわけでもない。「1を真似すればパクリになるけど、複数をパクればオリジナルになる」、みたいなことを偉人が言っていた、ということを、インフルエンサーが口を揃えて言っているので、どこに「句読点」を入れていいのかも判らない文章になっている。

ベストセラーの本を要約している動画も最近は豊富で、これまた同じ本の要約を同じように要約しているので、当然といえば当然だが、徐々にインパクトが欠けてくる。さらに厄介なのは、ベストセラー本であっても、例えば「健康」「食生活」「他者との関わり方」「時間の使い方」などのトレンドがあるようで、タイトルまでもが似通っていたりもする。もう情報が完全に飽和状態。気づけば、机の上ではMacでYouTubeで情報を仕入れ、掃除洗濯の時は、iPadを持ち歩いてYouTubeを聴き流し、運転中でもiPhoneでYouTubeを聴き流す。Appleという仲介屋を通して、Googleの子分と密な連絡を取り続けている状態。少しでも情報が来ないと不安になる。仲間外れにならないよう、ランチタイムにリーダーの女子についていかなければならない気の小さなOL状態。あぁ、完全に毒されている。

ただ、情報を仕入れて終わりの生活から抜け出せつつあり、最近では、このようにBlogに注力する時間がかなり多く、自分のブログを、自分の声で読み上げる動画をYouTubeにアップロードするアウトプットの習慣ができつつある。別に、私がインフルエンサーになるわけでもないし、私の呂律の回っていない「噛み噛みの」情報など求めている危篤な方もいないと分かっているのだが、とにかく外に情報を出すという行為、言い換えれば、自分なりの考えを絞り出さなければ、グルグルと世間の情報に振り回されて、自分の存在がふんわりとなくなってしまうのではないかと不安になる。自分の声を、寝る前の子守唄にして眠るという変な「自慰行為」も身につけるようになった。情報に押しつぶされる感覚は、全く大袈裟ではなく、最近、心底不安になる。せめてもの対策として、再生速度を2倍から1.5倍にしているのだが、やはり遅い。イライラして2倍速で情報を仕入れてしまう。やっぱり「自傷行為」が加速しているとしか思えない。

ただ、このような情報過多の中でグロッキーになる人は、今後ワンサカ溢れ出す。私は、初期症状が早く出ただけだ。この情報にギューっと押しつぶされる圧迫緊張状況と、現在のコロナの感染が拡大している状況は、非常に酷似していて、無症状で情報に飲み込まれている多くの人が、無意識に大きな流れに流されているという混沌状態。ある人を、盲信的に信じる余り、対立する者に対して必要以上に敵意を剥き出しにしたり、あるいは逆に、様々な人の意見を取り入れようとして、自分がどこの流れに流れているのかが判らなくなったりする危険が生じる。今の私は、圧倒的に後者なのだが、実際に、自分を救い出そうという具体的な術がわからない。とりあえず、ブックオフで「110円」の最安値の本を買って読んでみたが、紙の本をめくるという行為そのものがイライラする状態。絵を描いたり、写真を撮ったりして自分を癒そうと真剣に考えている。あぁ、深刻だ。

シャブシャブを食い放題で食べる代わりに、それ以外は口にしないという食生活をし続けているが、とても調子がいい反面、やはり便秘気味になっていた。先日、主治医に相談して、酸化マグネシウムを処方してもらって、宿便を一気に出しているのだが、この情報過食の私の「酸化マグネシウム」となりうるのは、一体なんなのだろうか。しばらく考えなければなるまい。

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