思考力

再発掘して希少性を見る

ルンバが動いている。何連休与えたのかカウントするのも虚しくなりそうなので、とにかく久しぶりにルンバの動作音がする中、愛機MacBookのキーボードを叩いている。コーヒーを飲みながら、洗濯機を回し、朝の光を採り入れながら、部屋の空気が新鮮に入れ換わる。とりあえず、精神が安定していた頃の何の変哲もない日常へと返り咲いたと言うか、しっかりと着地したようなので、このような朝をコンスタントに迎えられればいいと願うばかり。あとは、この記事を書き終えたら、観葉植物を窓際に置いて、少し朝の散歩にでも行って来ようかとも思っている。やはり、朝の清々しい空気の中で予定を考えると、1日をとても大切にしようと言う気持ちそのものを大切にしたいと思う。

体内時差ぼけの悪影響をもろに受けていた数日間。ルンバも充電ステーションで引きこもりだった状態。今、やっと久しぶりの仕事を終え、自分の住処へ帰っていった。気分もいいはずだ。さらに、観葉植物たちには水を与えながら、窓際に移動させてやると、新しい葉を成長させてくれた鉢もあった。人知れずでも成長している植物もまた生きているのであり、どこかで誰かのケアを必要としつつ、自分自身が成長し、やがてその成長で無意識的にでも、育ててくれた相手に気持ち良さを返してくれる。時間の流れの中で、それぞれが成長して、それぞれが励ましあえる。それはとても大切な関係だ。

機能、東京の歯医者の治療中の診察台の上で、ふと昔飼っていた愛犬の最期を思い出し、一気に目頭が熱くなって目からポロッと涙が出てしまった。正直なところ、その子が生きている間、嫌いなわけでは決してなかったのだけれども、ほとんど世話をしてあげられなかった。ただ、自分が人とまともに会話できないほど酷い鬱の底に落ち込んでいたときに、その子にはとても癒され、やっと鬱の沼から這い上がれたと思ったと同時に、天国へ帰ってしまった子だ。最近良く思い出していたのだが、まさか歯の治療中に泣いてしまうとは意外だった。とりあえず誰もいないときだったので助かった。いきなり患者の目から涙が落ちたら、変な誤解でもされそうだ。自分でも不意の涙で理解できなかったほどなので。

なかなか読み切れていなかった本を、東京へ行く道中に読み上げた。買った当初は面白く読んでいたのだが、再読して続きを読んでみると、さほどの熱は抱けなかった。これは、自分の精神状態に依存するのか、読んでいる場所が電車からだったのか、そもそも本の内容自体が、後半に薄まってしまっていたのかは分からない。でも、インスピレーションで手に取った本であり、そこから得られるものも確かに多かったので、久しぶりに本を購入したことに不満はない。続けて多くの本を読んで、この記事作成にも大いに役立てたいものだ。

私の記事作成であっても、面白い記事が書けていると思いながらキーボードを弾いている時もあれば、今日のようにボウッと思考回路に浮かんだものを文字にしているだけの場合もあるし、書けば書くほど自分を見失ってしまい、書くことそのものに救いがあったのか分からなくなることもある。そこに疲弊してなにも描かなくなることは避けなければならないと思っているし、最近始めた動画作成であっても、記事を再考し、リライトしている中で、光を当てる角度を変えて見えてくる新しい側面だって確かに出てくる。そうやって、張り巡らせた自分の思考を、二度三度とこねくり回し、再度構築した考えからさらに前へ踏み込んだ考えを貫けるのであれば、書かない手はないという前向きな気持ちにさえなる。

やはり、思考過程の変化を感じるたびに、自分の文章に奥行きが出てきて、自分の積み上げてきた1000記事近くの文章が積み上がった結晶の希少性を強く感じるものだ。継続する先に、こんな利益があるとはなかなか考えてはいなかったけれども、やはり手探りで進み続けることで得られる物事は多い。そうなれば自分の思考の中で、まだまだ多く眠っている可能性を発掘できると言う確信にもつながってくるのだ。

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