思考力

夢のイレイザー

瞑想で眠りに落ちやすくなっていることは確かなことなのだが、寝る前の薬が残っている感じがして、なかなか起きるのが難しい。目が覚めているのだが、もう一寝入りしたい気持ちになり、それを3度ほど繰り返すと、正午過ぎとは言わないまでも、午前中の遅い時間に起きることになってしまう。夢は浅い眠りの時に見るものと言われているが、このように浅い眠りが波形を描いて数回繰り返されると、3本立ての夢を見ることになったりする。まさに今日は、そんな感じの朝だった。

昨日、一人でカラオケに行ったところ、やけに自分の声が伸びる感覚がした。これはなぜなのかという答えは、あっさりと出て、瞑想で腹式呼吸を繰り返しているからだという結論に達した。やはり、自分の精神バランスを整えるために行っていたのが目的だったのだが、思わぬところでも効果を発揮することがわかり、なかなかお得な気分がした。それに、最近では、無駄な食欲も抑えられているような気もするし、身体を動かしたい気持ちや、英語の勉強を進んでしたくなるような、とても前向きな気持ちと行動が現れるようにもなっている。

もちろん、嫌な気持ちが不意に現れることも確かで、起きた瞬間にブワッと過去のトラウマが蘇って、嫌な気持ちにもなってしまうのだが、このようにブログで前向きな事を考えつつ、文字にして起こしてみると、その集中力で自分の心が空白の状態に戻るようにもなっている。瞑想を、1ヶ月、3ヶ月、半年、一年の単位で実践できたとしたら、とんでもない御利益を受け取れるのかもしれない。ただ、打算てきな行為として行うのではなく、あくまでも自分を内省するための儀式だと捉えておいた方が良い。

引越しに向け、いろいろな物を断捨離している。思い出の詰まった物であれ、形として残すのではなく、心の中という素晴らしいメモリーストックの引き出しにしまっておくことの方が大切な事なのではないだろうか。もし、失くした物の記憶すら残らないのであれば、所詮、自分の心の中での価値にもならない物であったのだから、捨てても問題ないのだ。かなり残酷で極端な選別方法かもしれないのだが、「今」の自分を気持ちよく過ごすためには、一度だけではなく、ずっと過去の遺失物を整理して破棄することも、極めて大事なことだと思っている。

何が大事なのか、どんなことが善なのかを判断するのは、あくまでも自分自身だ。仮に、自分の中での「もったいない」という気持ちが出現してしまったとしても、それをゆっくりと消去する柔らかく柔軟性のある「消しゴム」さえ持っていれば、自分の中で十分納得のいく気持ちの整理整頓ができるはずだと思っている。

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