思考力

膜開け

一日、30分で英語がペラペラになる方法。これは、広告の謳い文句で多いキャッチフレーズだが、実は、これを本当に実践するのは、極めて難しい。一日、30分の時間を確保し、その30分を「毎日」集中して学習に励むというのは、とんでもない労力が必要となる。もし、毎日「1年間」英語の勉強でペラペラになる方法であれば、全く広告の宣伝文句にはならない。つまり、英語学習のタイトルやキャッチコピーというのは、面倒な表現を切り取り、いかに楽チンに英語を習得できるのかを前に出して宣伝することなのだ。

まぁ、それだけ英語学習というのは、骨の折れる学習の積み上げなのであり、文法をキチンと学習しなければダメだとか、とにかく単語を詰め込まなければダメだとか、英語のシャワーを浴びるかの如くリスニングを聴き流さなければダメなどの数多くの攻略法がある。しかしながら、毎日30分を、1ヶ月も継続できないまま、全てがご破算となっていくものである。もし、ご破算にならないのであれば、日本の第二言語は確実に英語だと胸を張って海外へ言えるだけの能力が染み付いているはずだ。

仮に、ある程度の学習期間を経た英語学習者の日本人の英語力がそこそこあるとしても、日本人の国民性が、英語力の弱さに直結しているケースもある。そもそも、日常の会話の中でコミュニケーションを取れるというのは、相手が外国人であれ日本人であれ、とても難しいことである。そこに、シャイな日本人の特性が加わってしまえば、コミュニケーションが成り立たなくなってしまうのは、当然だ。だから、仮に、毎日30分の英語学習が続いている人であれ、実際の英語のコミュニケーションで不自由を感じるのは、実は心をオープンにできないことが原因だったりもする。

留学して外国語をマスターしようと旅立ったところで、現地で日本人ばかりと交流していれば、英語が身につくはずもなく、反対に、留学せずとも、積極的にリアルな英語のコミュニケーションを取れる環境を作ってさえいれば、英語力の向上は大いに見込まれるものであろう。私は、明らかに後者である。何事であれ、知識はあるが、応用が効かないというケースは、大抵の場合、精神的な「膜」が弊害になっているケースがほとんどであり、ここを解消すれば、全体の歯車が大きく力強く回転することが多い。

私も、一年半という期間、このブログを書き続けるという行動によって、文章の質が大いに高まったと自負している。漠然とした表現を、クリアな言葉で置き換えたり、適当な漢字を、より視せる漢字に変換する術も学んだ。誰に習ったわけでもない文章の書き方ではあるが、毎日の継続と少しのアレンジで、自分の力が向上しているのを実感できるのは、とても嬉しいものだ。

かつて憧れだったアイドルの曲を聴きながら、自分のセンスが幼すぎたということを知り、現在の自分の音楽のセンスが向上していることに気づく。でも、懐かしいという気持ちは、決して離れることはない。かつて、辞書や参考書を穴のあくほど見つめながら七転八倒していた英文法の問題も、初見の状態で、人に解説できる。何事も、興味を持った対象を磨き上げていけば、必ずクオリティーの高い結果を出すことができる。

まずは、広告の打ち出しているお手軽さなど排除すること。そして、初歩の段階で自分には向いていないという諦念と先入観を捨てること。それこそが、自分を高い次元に押し上げられる契機になるのだ。

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