思考力

引き抜かず差し伸べる

何かの言葉がピンと閃く。誰かの救いの言葉が、ふと自分の考えをプラスの方向へ変化させてくれる。そのような経験をしたことがある人は多い。いや、10代以上の人であれば、それは必ず経験していることだと思う。最近の私の精神的不調が、恐ろしく酷いものであったことに対し、私に語りかけてくれた、とある人の優しい言葉たちが、今回の不調から私を助け出してくれたのかもしれない。久しぶりにそんな経験ができた。

誰だって、ミスをする。生きていれば、多かれ少なかれ、人間は等しくミスをするものだ。そのミスから這い上がるために、人間は多くの労力と時間を必要とする。そして、もはや再起不能となったと感じ、立ち止まり、砂に埋もれるが如く自信を喪失してダウンすることだってある。双極性の性質を持つ私などは、どん底に落ちた時の病的な状態を受け、そこから立ち直れるか、何度も自問した覚えがある。しかしながら、今、こうやって自分の手で、キーボードを弾きながら、しっかりと日本語を組み立てた文章のブログ記事を書けている。だから、私の人生のどこかで、自分を理解してくれる人がいて、多くは心ある人からのアドバイスを受けて、勇気をもらったのである。

私が、今現在、陥っている人生のトラップ。トリガーになってしまったトラブル。誰にも話せなかった具体的な内容。それをメールにして送信したのだが、その人は、私の愚行を完全肯定してくれ、まだまだこれから再起できるということを確信させてくれるような言葉を投げかけてくれた。これは、もちろん表面的なお情けではない、具体的な救済方法を用意してくれたアドバイスであった。つまり、いかにして自分の墓穴を掘ってしまったのかを客観視し、そこからの出口戦略を共に考え直せるかという「提案」をくれたのであった。

何よりも、私が誰にも相談できないことを思い切って相談し、その人を頼りにしたことに対して、相手は「感謝」をしてくれたのだ。頼ってくれてありがとうと。こんなに自分のことを支えてくれる対応はなかなかない。逆に、このような積極的で優しい姿勢というのは、私には多いに欠けていたものであり、先生と呼ばれる立場でありながら、相手の立場を考え、具体的なアドバイスなどほとんどできていなかった自分を省みる良い機会にもなった。

私は大丈夫。一昨日から昨日まで、関東には警報級の大雪が予報されていたが、蓋を開けてみれば、雪など降らなかった。私の深いと思い込んでいた精神的不調とミスから生まれた傷も、一種の熱病のようなものであったのだと信じたい。一寸先は闇。そんな言葉があるが、実はそのような暗闇の中であれ、自分を成長させてくれる何かは存在し、その闇から光へと自分に手を差し伸べてくれる人が存在している。そんな貴重な経験ができた今回のトラブルであった。

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