思考力

凍える姿勢で迎え撃つ

真冬用の膝掛け。インナーパンツに厚手のコットンのスウェットパンツ。厚手のインナーに、発電式バッテリー搭載のインナーダウン。その上に、軍モノのフリースに、アウトドアのモコモコダウンジャケット。サンタクロースに負けず劣らずの分厚いニット帽を被って記事を書いている。今朝の記事に記しておいたのだが、昨夜からのエアコンの不調が、今も改善されておらず、オーナーに連絡しつつも、今日の今日の対応は難しいようで、整形外科のアドバイスに従った、「貧乏ゆすりキーボード打ち込み術」を、駆使してキーボードを弾いている。

今朝の記事の仕上げに、チャットGPTに最終推敲を委ねたのだが、なぜか認証IDなどを求められてしまい、時代が進んでいるのか、自分が退化しているのだかわからないまま、今朝は、記事をアップロードできた。そして、今晩は、エアコンが効かぬ部屋の中でぬくぬくできるほどの心部体温は持ち合わせていないので、明日の記事を先取りして書いている。明日は、ブログを書かないで良いので、すぐに海沿いへと出発できるように、身支度をサササッと終わらせて出発したいものだ。

YouTubeの閲覧回数が、少しだけ上がっている。記事読み上げを、AIに任せるようになって、最初から1ヶ月にかけては、「3桁再生」が、チラホラとコンスタントに出ていたのだが、やはり、自分の記事の読み上げ動画など、このYouTube全盛期の中で埋もれてしまうのは必死のようで、一桁再生が続くようになってしまっていた。ここ1週間は、なんとなく上昇している再生回数。チャンネル登録者が一人減ってしまったが、概ね60人台をキープしているし、ガタガタと落ちぶれていくこともなさそうだ。必ず高評価がつくようにもなっているし、この数十億人の世界人口の中で、一人くらい貴位な視聴者の方がいるのかもしれない。そんな方には、本当に感謝している。なぜなら、もはやこのブログとYouTube発進以外で、外界とのつながりは全くないので、この信号に気づいてくれるのであれば、感謝しか残らないであろうと察してもらいたい。

家を出てからやることといえば、いつも通り、海岸まで行って、スケボーを蹴ること。YouTubeの音声を自分の中で咀嚼して染み込ませる良い時間でもある。世間では「ニーサ」のことがブームのようになっているし、来年、とは言っても、あと数日して新年を迎えれば、新しい仕組みの投資方法となるニーサも、私は、ずっと前から投資をしていて、ブームが来ることが嫌になってしまうほどでもある。資本主義の原則は、やはり「知は力なり」という格言が示しているように、ブームに便乗する前に、時間的に早かった人、いわゆる「先行者有意」に従っているのだから、情報を仕入れたら、即実行に移すべきだ。こんなにも話題になっている「投資」であっても、勉強しない者からしてみれば、やれ「怪しい」とか、「危険だ」などといった捨て台詞が心地いいみたいだし、こうなってくると、前々から投資の勉強をしていて、その仕組みや安全性を自分の頭で理解している者が、ますます優位になってくる。こんな記事が、あと15年程度したら、「この人は15年前から理解していたのだ」というふうに、後悔のため息とともに、吐かれることになるはずだ。

例えば、私が好きだった歌手が、まさに国民的、世界的に有名になった時に、そのデビューまもない頃から応援していて、成人してから数年経って、「お前は目をつけるのが早はかった」と言われれば、それは嬉しいし、時代が後からついてくるのを、胸を張って信じられていたのだから、誇りに思っていていい。今、自分が信じていることはなんだろう。身近なところでいえば、スケボーだろうか。もはやオリンピック競技にまで発展した競技ではあるが、私が高校生の頃などは、完全に「不良の遊び」として、深夜の公園でカチンカチンと板を鳴らす迷惑者集団でしかなかった。だから、当時を知っていて、それからでもなお、4輪の板の上に乗っていられるバランス感覚を持つ自分は、それなりに誇れる才能だけはあるのかもしれない。

職業でいえば何だろう。やはり、英語講師になるはずだ。でも、この業界に至っては、私が20代の頃とは事情が違ってきていて、大学生こそ有利な状態になっている。大学生だった頃の自分は、絶対に自分が学生だとバレないようにしろという通達が来たくらいだったのだら、もはや時代は逆転現象を起こしているのである。では、全体を俯瞰してみるとどうなるのだろうか。対面の授業というシステム。映像を通して授業を受けるシステム。何でもオンラインで完結したり、何でも時間を短縮することに焦点を当てられる教育現場となっている。その流れに乗るべきなのだろうか。少し前の私は、いかに効率的に授業を受けられるかということばかりに気を取られてしまい、生産性を重視した「その流れ」に乗ることを肯定していた。まさに、この「思考力養成予備校」は、受験を超えたシステムから脱却し、自らの頭で考えられる人を形成することを目標とし、どんな人でもフラットな状態で学べるよう、「オンライン」に拘って来た。果たしてこのシステム一点張りというのは、絶対なのだろうか。

世界的に、コロナを敵視しつつ、対面での教育を変えていこうとしてオンラインに移行しようとした。でも、先進国の中で、日本だけは、何としても対面の授業をしようと躍起になっている節もあった。私は、そんな古い価値観を毛嫌いしていたのだが、時間が流れてみれば、日本の学力は、ころなを挟んででも、学力を向上させていたのだ。この事実、このデータは、客観的な数値なのだから、否定できない。つまり、この事実をもとに考えれば、自分のオンライン予備校を、いかにして対面にも対応させられるかというスタイルを模索すべき時が来たような気もする。ここでは、やはり柔軟性を持たせたほうがいい。優柔不断と言うことでは、決してなく、自分から見た世界の捉え方で、生き方やスタイルを変遷させていくことは、非常にポジティブだといえよう。

ふるさと納税のリンゴとみかんが届いた。今まで、ふるさと納税のシステムもよくわかっていなかった。これが、「無知」の状態。それに対して、今年自分が積み上げた知識と行動で、得られるものは計り知れないほど大きくなっている。来年は、そのような意味において、知見を広げられる生き方を目指してみたいものである。少し重い腰を上げて、年賀状でも書いてみようかと、少し思っている。もう、元旦には間に合わないみたいではあるけれど、少し昔のつながりも興味を持ちたいところなので。

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