思考力

広く安定していた舞台

自分は、いつも優しい人でありたいと思っている。これは、心から思っている。本当だ。しかしながら、これが裏手に利用されて、「易しい人」となって利用されてしまう。良かれと思ってやってあげたことを、散々悪用され、搾取され、気づくと身包み剥がされていたりする。こうやって思い返すと、こんなに自己犠牲的な考えを持っていれば、やはり気が小さく、チキンハートな奥手な人間だと思われ、何かを奪ってしまおうと必死になって言い寄ってくる輩も多い。45過ぎて、様々なタイプの人間と向き合い、それによって多くの悪い人達から搾取されつつ、多くのモノも失ってきた。これを思い出すと、後悔の念ばかりが思い浮かばれてしまう。

この記事を書いているのは、夜の8時。書く時間が、12時間も前倒しになってしまった。明日のスケジュールの緊張感から、ソワソワして17時に服用した眠剤の効果が、こんなに短い時間に切れてしまった。今宵は、どのように過ごすのか、また、明日の塾の採用面接まで体力が持つのかということも強い心配の種ではある。このような心の隙間ができてしまった時に、先述した意地汚いネズミのようなニンゲンが、我先にと殺到してくる。だから、このような不安定な心に陥っている場合は、落ち着いて一人の行動を心がけることが得策なのだ。

明日の会社面接では、もはや不安定な非常勤講師として自分をピエロのように綱渡りさせることは止めた。シッカリとした正社員として雇ってくれる塾を探した。これも、ある意味では、焦っている時に掴んでしまった搾取してくるような会社になるのかどうかは分からない。思えば、4年半前。多くの資金をもって、千葉に移住して、ブラック企業に当たってしまったことを思い出すと、勤めるべき会社が、ホワイトかどうかは、嗅覚というか空気というか、そのようなヤバさに対するアンテナを張っておかねばなるまい。

現在、生活保護の申請が終わり、あとは結果待ちではある。「間取り調査」というものが、明日実施されるのだが、もはや金目のモノは、全てリサイクルショップに売却した。売った値段より遥かに高い値段でディスプレイされている私の過去のアイテムを、店頭で見るのは、やはり心苦しい。ただ、生きていく上で、多くのモノを、どこかのタイミングで断捨離をして身軽にしておかなければならないことは確かなことであった。モノは買い戻せるが、今現在のピンチは、もはや後から補えるほどの余裕はない。

FIREする為には、会社に依存する生き方を捨てなければならないが、頼るものがない自分は、正社員として会社に依存する以外ない。今まで、変なプライドで、非常勤講師でありつつ、英語の指導だけで生活していこうと思っていたが、これからは、5教科セットで広く教えられるように学び直ししていこう。これは、逃げではない、自分の生き方のポジティブな変異。最悪な未来を避け、大きく不安を減らす。

なぜ今までの生き方を大きく変えることいけなかったのかという明確な答えを持っているわけではないけれど、ネガティブな意味で自分の荒れ狂いそうな魂を放置することは厳禁なのだと思う。危険を冒して今までのプライドを保つより、今まで狭い舞台で踊っていた自分の生きるステージを変える。これは、とても良い生き方なのだと思ったのだ。

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