思考力

夜の吐露を冷静に読む

玄関にあるジュースのペットボトルを眺めながら、昨日もなかなか寝付けず、結局日付が変わっていたことを思い出す。眠れないというのは、とても不利で、睡眠に割く時間を多くとっても、そこに不眠が加わってしまえば、その時間はある意味で無駄とも言えるし、すぐに寝入ることができるのであれば、その時間はそのまま睡眠負債の精算ができ、さらに心身ともの回復ができるのだから、やはり睡眠に関しての問題というのを、甘く見るのはよくない。いや、絶対にダメだ。

一昨日から、海岸の駐車場でスケボーをやっていたのだが、身体を動かすという観点からは、やはり身も心もスッキリすることは間違いなく、寝落ちはまだ難しいにせよ、起きてからの眠気の残りや、気怠さというのからは、少々遠のいている。まだ三日しか経っていないとはいえ、朝のフラッシュバックも、強烈なものは無くなっている。頭でグルグルと考えるより、体で感じる爽快感を肌身で味わっていた方が、シンプルでいい。抗うつ剤と同じくらいの効果があるのが「運動」とも言われているし、そのような流れで健康になるのであれば、スケボーをドライブの中のひとつのイベントとして取り入れるのも、とてもいいと思う。

玄関のドアを開けっぱなしにして、窓も全開にする。窓際に観葉植物を置いてブログを書く。そんな流れの中で、ルンバが故障していて、修理に出しているから、床掃除ができていない。それならば、物を処分したり、窓にエアコン効果をアップさせるためのプチプチを貼るなどの代用雑務をやっておけば良い。だから、ひとつの選択肢が消去されてしまったのであれば、残された選択肢でベストを尽くした方がいい。現状の不満に嘆いたり怒ったりしているのであれば、そこをロスカットするような動きを積極的に行うべきだ。

YouTubeの視聴回数が伸び悩んでいる。ただ、「悩む」という表現は適切ではない。ブログを書き終えてから、書き上げた記事を、音声変換できるソフトに入れて、そのまま動画に編集してしまえばいいのだから、毎日更新しているブログを書き上げてしまったら、あとの編集は、ただの「作業」とも言える。だから、気負いせず、視聴回数を気にして動けなくなるようなことはしない。ただ、コツコツとアップロードを繰り返していくだけだ。

こんな地味な作業はできるものの、食べるということに関しての意思は、なかなか強くはなく、昨日も外食で大盛りカレーを腹に流し込んでしまった。人間の3大欲求なんていう言葉があるけれど、それを考えると、パートナーもいない自分は、どれも満足させられていないことにもなる。意識の問題とはいえ、本能に抗うということは難しい。手軽に、しかも美味しく食べられる外食には、やはり食品添加物が多く含まれている料理が多いのだから、自炊しようという気持ちにはなるのだけれども、やはり手間隙を省くことが優先されてしまい、キャッシュレス決済で完了する店舗での食事の選択肢が、優勢になってしまう。この問題に関しては、しっかりと対処していかなければならない。人間は、食べたもので身体を構成しているのだから、そのガソリンの源となる食べ物が汚れていては、絶対にダメなのだ。

ドライブの間は、スマホでYouTube動画の音声だけで「耳学」している。昨日、『ゼロ秒思考』という本の要約動画の音声を聞いていた。やはり、自分の手で書いたものをメモし、その言葉を可視化して思考をクリアにするということは、とても大切なことのようだ。これは、確かに当たっている。今、こうやって書き綴っているブログは、キーボードを叩いて文字が構成されていくわけだが、手書きの文章を書いているのであれば、そこには誤字脱字や、開いたスペースに小さくメモ書きを入れたり、図を挿入することだってできる。それに、誰かに見せるわけでもないそのメモには、いつでも捨てられるという手軽さだって付いてくる。

睡眠を妨げる要因として、現代では、寝る前のスマホやパソコンが挙げられている。だから、今後、夜のパソコン作業は避け、本を読んだり、考えていることをメモに手書きで残して書いていくのも悪くないと思った。今朝のこの記事であっても、昨晩書いた手書きの殴り書きのメモを下書きにして書いている。こんなメモの習慣を取り入れ、2週間ごとに通っている、東京渋谷での精神科受診の診察の台本としてもいいのだという名案を思いついた。こんな日々の何気ない発見や、効率的な考えるヒントというキッカケで、自分の生き方に深みが増すのであれば、今後とも意識を外に向けられ、過去の苦しかったトラウマや、そこから引き起こされるフラッシュバックにも耐えられるのだろうと思っている。

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