思考力

詰んだ経験の上に積む

朝は、かなり冷え込むようになった。自律神経が乱れている自分は、普通の人よりも寒さを強く感じるので、今朝も強い寒気とともに、起きることとなった。覚醒と半覚醒を繰り返しながら、やはり自分にはフルタイムの正社員などできるわけはないと思いながら、高校時代に大っ嫌いだった先生に、思いっきり怒鳴られて、口論となり、そのまま退学した夢を見た。卒業を、数週間後に控えた日だっただけに、相当悔しかったが、それにもましてハラワタが煮えくり帰った自分が、夢の中にいた。やはり、自律神経が整っているときに見る夢ではない。

朝日がかなり強くなってから身体を起こし、いつもの時間かと思いきや、いつもより2時間程度早く目が覚めていた。残眠感も少ない。心当たりがあるとすれば、昨日は、水泳をしつつサウナに入り、待ちに待ったスケボーを車に突っ込んで、そのまま海岸の駐車場で滑っていた。それが功を奏したようで、すっきりと目覚めることができたようだ。ただ、玄関には、相変わらず糖質たっぷりのジュースの缶が置いてあったので、入眠できずに夜、自販機まで歩いて行ったこともわかった。やはり、夜の記憶が曖昧になってきているので、知らぬ間に夜の道を徘徊して、知らぬ間に事故や事件に巻き込まれていたら大変だとも思う。人との交流がないと認知症が進むと言われているが、まさにそんな状態なので、結構機になるところだ。

窓を開け、観葉植物の葉に水を吹きかけ、窓際に置く。コーヒーを飲みながら、優雅にブログを書き綴る。こんな贅沢にお金がかかっていない。幸せが、実はこんな身近に存在していることを知る。今日やることといえば、いつもやることである海岸線のドライブであり、今日から加わったスケボーの滑走がある。こんな平凡な生活に幸せを感じられるのであれば、取り立てて見栄を張る必要もなければ、取り立てて高級品を見に纏う必要もない。昨日、時計屋に行って、高級な時計を見ていれば、確かに購買意欲は湧くものの、それが何か自分に大きな利益をもたらせてくれるわけでもないし、メルカリなどの中古品を見れば、定価の4割匹程度で、その商品が出品されていた。それならば、焦って買う必要もないし、そもそもそんな時計に価値はないとも思う。上質な寿司でも食えば、それが身体への新鮮な血液となるのだから、そちらに消費した方が、やはりよっぽど良いと言える。

物であっても、時間であっても、知識であっても、何においても、自分が必要なものは本当に「それ」なのかという確認を怠らないように生活している。落ち着いついて考えれば、さほど自分にとって関係のない物ばかりだし、味や量だけを求めた外食ばかりしていれば、お金も栄養も失ってしまうわけで、トータルリターンは、結局マイナスになってしまう。やはり、価値というのを見分けるのは、とても重要であることを知る。すべての物事を、損得で考えるのは、あまり賢くはないし、世間一般では無駄だと思われることの中に価値があったりもする。ずっと働かずに、木からリンゴが落っこちるのを観て、正規の大発見が見つかることもあるし、案外空白の中に可能性が詰まっていることだってある。ただ、自分が今まで経験した中で、明らかに無駄だったと思えることを避け続けることに、時間やお金を投入しないという姿勢は、とても重要。そのような分別ができることこそ、自分の中に「経験」という価値を見いだせたことにもなるはずだ。

価値判断というのは、時代の変遷や、自分の年齢にもよる。そして、価値観次第では、人によって大きく変わってくる。例えば、私が十代の頃は、ビンテージジーンズがブームになり、ボロボロのジーンズに数十万のの値が、普通についていて、こぞってそれを買い漁る若者たちがいた。今では、そんな布切れの古着などには価値を見出す者などほとんどいなく、若者は、ファストファッションなどと言って、いかに安くて物持ちが良い洋服を選んで切るようにもなった。時代と価値観が大きく変化した良い例だ。そんな時代のニーズを、いかに早く察して、次の波を予測し、いかに実行力を高められるかというのが、先行者優位の世界では大切だ。これまた、その考え方の最たるものは、株式投資だと思っている。予測できない市場全体の動きを考え、資産を投資する。そして、そこに世界の流れがマッチすれば、自分の利益が増えるという、言葉にすればシンプルだが、とても奥が深い世界でもある。

そして、そんな世界に蔓延る多くの詐欺師やテイカーから身を遠ざけることも大切。動画で、テイカーとギバーの話を聴きながら車を走らせていると、過去に存在していた自分から多くの物やカネや時間を奪い取って去っていった人たちを思い出す。それを過去のいい思い出だと割り切れるほど、まだまだ私の心は広くないが、この誰からも束縛されない自由な時間の中で、自分をリリースし続けられるのであれば、私に降りかかってくる負担を大幅に回避することができるだろうし、先述したような、ささやかな贅沢を感じられるのだろうと思うのだ。そんな生活の中に、心からの感謝を感じられれば、そこに本当の幸せというのが存在するのだとも思っている。

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