思考力

変異して有利になる人

 

相手は、とても手強い。飲食店の営業時短をしても、緊急事態宣言を発令しても、医療体制が逼迫していたとしても、外出自粛をしようとも。何度も変身して、遠慮することもなく、こちらに襲いかかって来る。こんなにも凄まじい相手のチカラに、人類は翻弄され続けている。新型コロナウィルス。確かに、このウィルス騒動というのは、未曾有の大惨事であることは、誰から見ても明らか。しかしながら、どんなに注意喚起をしたところで、日本は、タイミングまでもが悪い世界屈指の国になってしまったといえる。

またもや、今日から、首都圏に緊急事態宣言が発令された。東京が、すでに緊急事態宣言だったことを、今更ながら思い出したくらい、私の中でも、もはや名ばかりの指令。「またか」と思うだけである。こんな政府の判断の生温い判断の状況下で、国民の生活が振り回されたとしても、もはや国民の目がクルクル回ることもなくなってしまった。学校の水泳が中止されているというのに、「世界の運動会」は、見事に継続して開催されている。島国なのだから、そのメリットを十分に享受し、水泳の中止ではなく、水際からの侵入対策を厳重に行えば、かなりの感染拡大のリスクを抑えられると思うのだが、なかなか大きな動きに出られないNIPPONという変化のない国に、大きな期待をするというのは、ただただ虚しいだけの期待としか言いようがない。

「ラムダ株」という新たな変異株が出現し、もはや、このウィルスの変異に対応し切れていない人類にとって、マスクを外して生活できる日が来るのは、一体いつになるのだろう。先日行った飲食店で、カップルだと思っていた二人組が、マスクを外して食べ始めたときに、親子だったこともあった。マスクをすると2割増しで可愛くなると言われている女性にとっては、一年中マスクを装着できるなんて、ある意味では嬉しいことになるのかもしれない。私とて、千葉に来て人格を変えるべく、オーバーなほどの愛想笑をするのだが、引きつっている顔がマスクで隠れていると思えば、私にも有利な状況下でコミュニケーションを進められる、お得なマスク期間であると言えよう。

今、対面の塾では、明らかに苦戦を強いられているはずだ。対面授業をしていた頃の私の授業では、他の講師や生徒たちのモノマネをしていたのだが、マスクをしていては面白さは半減するどころか、「封印」しなければならない。しかも、ウケているのかどうかが分からなければ、自分の喋りの間の取り方や、その後の切り返しなどが、非常に困難になる。ただ、オンラインで授業をするとなれば、話は全く逆になる。マンツーマンのオンライン上の授業であれば、必然的にお互いの表情が、眉間や目元のシワの角度まで見てとれる。これは、大きなメリットだ。実教室で、マスクをしながらゼーゼーと肩で息をして授業をするなど、今の自分には、もはや考えられない。いやはや、このブログではよく書かせてもらっているが、言い方は適切ではないにせよ、世間でお騒がせのコロ助のイタズラは、私には「追い風」となっている。

昨晩も、新居で一泊し、今、旧居でブログを書いている。文房具すら、新居に持っていってしまったので、今日も手書きの下書きを用意しているわけではない。ただ、ブログ毎日更新を7ヶ月も続けていれば、淀みなく文章が滑らかに繋がっていることが分かる。微妙なニュアンス、なるべく句読点を打たなくて済むように、漢字と平仮名とカタカナの組み合わせなどの体裁を整えることも上手くなった。また、誤字脱字に関しても、随分と減ったと認識している。

そんな中、あとは「光回線」を新居に引けば、全ての生活を新居で行うことができるので、今の家からは、完全に出ることができる。昨日に引き続き、今日の目覚めも良く、リサイクルショップに持っていっても買い取ってくれないような大きな不要物の処分に困っていたが、今日は旧居の地域での「粗大ゴミ」の日であった。なんともタイミングが良い。ここまで順調だと、何やら大きなアクシデントが起こるのではないかとか、ただの躁転なのかもしれないという不安まで付き纏って来る。

なんであれ、自分にとっての追い風が吹いているのであれば、それを遠慮なく享受し、遠慮することなく、これからの人生のベースを作り出していきたいと思っている。そもそもの話、定期的に会う人は、床屋の店主くらいで、その他に、私の実情を知っている人はいない。誰に文句を言われるわけでもなく、誰に咎められることもないのであれば、自らの歩を進めることを躊躇うべきではないのだ。

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