思考力

日照感覚

 

現在、19時。旧居にいる。日本では、6月下旬が、最も日が長いということを肌で感じられるのは、常に、自然と向き合っている人たち。例えば、私が小学生の時に、サッカー部の練習をしていると、やはり日が短くなることを、普通の子供たちよりも早く気づいていた。ボールが見えなくなる時間が早くなれば、それは怪我につながるので、日が落ちるのが早まるにつれて、ボールの練習が前倒しになり、走り込みなどの地味な練習が夜更まで続いたものだ。いくら、ゾーンに入る集中力があったとしても、流石に暗闇の中で実力を完全に発揮できるのは、その道の達人くらいであろう。それほど、人間は、暗闇の中で動くことを不得手としている。

今、サーフィンから帰る途中に、大盛りのラーメンを平げ、19時までは波を追いかけ回せた6月より、日が短くなっていることを実感する。このように感じるのは、やはり屋外で活動している者だからこそ。今、マスコミが、手を替え品を替えモノサシを変えて、コロナの新規感染者数の増加の深刻さを報道しているが、それを真に受けてしまっている人たちや、緑の狸の呼びかけで、完全に「ステイホーム」をしている人たちには、この日の短くなった感覚は、なかなか実感しにくいといえる。

沖縄でのコロナの感染拡大が広がりを強め、諸外国であれば「ロックダウン」相当のレベルだという。島国であり、さらに本島から離れている沖縄なのであれば、「ロックダウン」に近いことはできるはずであろう。本当に、沖縄の人たちを守る気持ちがあるのなら、報道して終わりでは済まされないはず。ただ、マスコミに前に出るように要求することもできないのだから、だらしなく続いているだけに過ぎない「緊急事態宣言」を、沖縄では徹底するように政府は呼びかけるべきである。

海外では、コロナ以外の揉め事は絶える事はないようで、海上でタンカーを攻撃したのは、「イラン」だということにしている米英。イランが濡れ衣を着せられているとしたら、とんでもない非難である。こんな非難から「避難」するための術を、イランは持ち得るのだろうか。人を悪くいう時というのは、たいてい自分に自信がない時であり、それが複数人であれば、「いじめ」が勃発する。これが、国レベルの規模だと「戦争」となる。このような危機を回避できるような人材は、どこの国でも過去にいたはずである。もし、偉大なる過去の歴史上の人物が、現在の日本の総理大臣になったとしたら、コロナの問題を的確に処理し、アメリカにコビを売るようなことをしないかもしれない。

ただ、そんな「サムライ魂」を持ち合わせた政治家は、もはや絶滅したようだ。オリンピックを開催したことで、緑の狸のオバチャンには、ガッポリと黒い金が振り込まれるようだ。こうなってくると、現役の政治家に期待するだけ虚しいのだから、次世代のリーダーに期待するしかない。ただ、このご時世、バカ高い学費を払っているというのに、キャンパスに通うことなく、オンラインで授業を受けなければならないという悲惨な大学生たちが、優秀な政治家として、日本を牽引できるのだろうか。キャンパスに足を運べないというのに、その大学のキャンパスが、コロナワクチンの接種会場となるという皮肉。私なら、学費を返してもらうか、大学に合格させようとした塾の先生まで文句を言ってしまいそうだ。いや、流石に、それはない。

受験という狭い世界の中で、次を見据えた広い視野で受験をクリアできた学生は、間違いなく次のフィールドで活躍できる。もし、今の学習環境が、オンラインでしか完結できないのであれば、それを次世代の新しい教育スタイルだと考え、積極的にオンラインのメリットを受け取るだけの「ITリテラシー」を高める事は、とても大切である。よく、授業中に言うことなのだが、仮に試験の出題形式が、今までと大きく変更になったとしても、それは、自分の問題用紙だけではなく、他の受験生の問題用紙も同じように変更されている。だから、今まで積み上げてきた知識を、冷静に吐き出してくるように伝えている。

塾や予備校での教育で、自分が一番大切にしている信念というのは、人生のライン取りを正しく行えるような人材に指導していくことだ。決して、打算的な受験勉強に終始しないこと。合格することばかりに目を取られた、濁った目で受験問題を解くのではなく、受験勉強を通して得られる経験と知識を表現できるような指導を心がけている。そして、これからの自分の教育の中で、これは決して変わらないポリシーだ。周りと差が付くくらい突き抜けたいのであれば、裏技というのは存在しない。自然界の中で、ゾーンに入るかのような気持ちで、最終的には視野を遮られたとしても目的を達成できるような、真の実力という財産が必要なのだ。

明日は、コロナ真っ盛りのTOKYOへ行って、心の波を穏やかにして、安らかな眠りにつける薬をもらいに行く。もう、オンライン診察で問題ないと思うのだが、どうも頭の固いドクターであり、歳を取るごとに偏屈爺さんになっていくようだ。どんどん時代の波を乗りこなしている中年の私にとっては、なかなか手強い主治医だと言えよう。さて、新居に戻って、新居で初のウェット干をしよう。これは、いつでも「首吊り」と誤解されるので、慣れてもらうまでは時間がかかる問題でもある。

 

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