思考力

最強の基準

 

昨晩は、まだ日が落ちていない時間に眠気が襲いかかってきて、もはや中途半端に寝てしまえば、夜中に目が覚め、再度、眠れなくなることが予想できた。だから、とりあえず寝る前の薬を飲み、一部の望みを我が身体の睡眠リズムに託し、朝日と共に目が覚めることを願いつつ、眠りに就いた。いや、薬をゴクンと飲んだ時は、もう祈ることさえ出来ぬほどの眠気であった。ただ、薬を飲んで朝日を拝むという願いは、イメージ通りに私を包み込んだようで、残暑厳しいこの時期には少し涼しい、夜明けギリギリの時間に目が覚めた。私の体内時計が、自然の周期リズムとピタリと重なったのだ。

起き抜けのコーヒーは、いつも通り、自分をシャキッと覚醒させ、とても美味い。それを飲みながら、この時間に起きられた恩恵を十分に享受すべく、頭の中で、今日のスケジュールを組み立てる。まず、ずっとタイミングが合わなかった旧居の燃えるゴミを捨てに、車で旧居へ。そして、もはや捨てる物が全くない状態を作り上げ、3日後に迫った、旧居での最後のイベントとなる「退去立会」を待つばかりとなった。厳密に言えば、光回線の撤去工事も残っているとはいえ、これ以上、私的なことを書いても、完全に「雑記ブログ」になってしまうので止めておこう。

今、新居に搬送した机の上に、愛機MacBookを置きながらブログを書いている。久しぶりの手書きの原稿を用意してのブログ作成。ただ、ずっとiPadやiPhoneで閲覧していた動画が、全くもって、世間のニュースから離れていたことを物語るように、最新ニュースに表示された動画は、たったの2つだけ。世間のニュースに目を向けるという問題意識をもっていなければ、AIがオススメする動画も、自分のかつての嗜好的な動画ばかりになっていた。90年代前半のアイドル氷河期と言われていた時期に、私は「乙女塾」という括りの中の、「美少女仮面ポワトリン」と「ribbon」という3人グループに、大きな関心を寄せていたのだが、それは、現代社会の深刻な諸問題に比べれば、ほとんど価値のない動画だ。このような昔の思い出に浸って懐かしさを感じることは、時間という資産を浪費したいうのかどうかは、イマイチ分からない。

では、AIが教えてくれた最新ニュースが、新しい実りのある情報かといえば、なかなか当てはまらないようだ。アフガン情勢と中国政府の問題などは、情報断捨離をしているビジネスパーソンならば、とりあえず自分とは無関係な問題としてスルーしているであろう。また、相変わらず惰性化したコロナの感染拡大情報。あとは、西日本を中心とした、各地で降り注ぐ大雨が、災害級になるなど。確かに、毎年、深刻さや範囲を拡大させている災害問題に、意識を向けることは大切である。ただ、それを最新トピックとして扱うことで、視聴者の不安を煽るようなメディアのやり方もいかがなものか。ここまでくると、自分にとっての本当に大切な情報が、一体何なのかが、ぼんやりと曖昧になってくる。そこで、AIの出番というわけなのだろう。

「最新ニュース」。やはり、直近で起こった事件や事故を報道することから、先ほどの私の「自分には関係ない」という考え方は、やはり良くない。パラリンピックで、警備員の方が、東京湾に落下して、命を落としたという事件。これに対して、コメント欄には、ご冥福を祈るということや、ミステリー事件を絡めたもの、警備員の仕事の危険性などが上がっている。私にとって、すこぶる大切な情報というのは、出来事そのものではなく、最新ニュースにおける「コメント欄」の意見や感想であり、ある最新ニュースに対しての個々人の感想をみて、自分の考えを照らし合わせて考えることである。

また、その最新ニュースから浮かび上がる事柄から、自分の興味関心が進む方向を捉え直すことも、とても大切だと思っている。例えば、今年からオリンピックの新種目となったサーフィンにおいて、ゴールドメダル獲得の得点の競い合いとしての捉え方ているサーファーにばかりフォーカスしているメディア。それに対して、鏡のように整ったウルワツの極上の波に乗っている無名のサーファーのどちらが「波に乗る」ということに対して、視聴者の関心が少ないから報道することのないメディア。やはり、視聴率を考えると、前者の方が圧倒的に注目を浴びるわけだが、そこを踏み込んで考えると、オリンピック選手よりも、技術的な面においてでさえ、圧倒的なポテンシャルを秘めた無名のサーファーだって存在するのかもしれない。そのようなことを、追跡調査したドキュメント番組であっても、一時的な視聴率しか稼げないのであれば、やはりホットなトピックスに関心の目がにはならない。だから、メダル獲得なるか否かの方向に注目が向けられるのも、致し方ない。

もちろん、オリンピックでメダルを獲るということは、とても素晴らしい栄誉あることだ。オリンピックの出場切符を手にできるサーファーの、9割以上は、それだけを生業にして生きて行けていない。別の職業で言えば、見た目が全く問題にならない「声優」。この世界であれ、目指す若者は「30万人」と言われており、やはり、9割以上は、食べていけないのが現状だ。見た目の華やかさで生きていこうにも、その分野の底辺でのリアルというのは、厳しい。それが、プロの世界。甘えは、許されない。

私の考えになるのだが、人間は、「ここで十分」と考えた瞬間に成長がストップし、それに甘んじている間に、どんどん後退していってしまうと考えている。私も、英語講師という職業を生業とし、這いつくばるようにして生きてきた。ただ、どんなにお金がなかったとしても、自分の授業研鑽に手を抜いたことはない。これは、自分の講師生活の中で、本当に誇りに思っているし、これからも大切に守らなければならない考えだと思っている。今、新型コロナウィルスの猛威とともに、リモートという形で、教育業界の世界が、大きな変化を強いられている。これに対して、私自身がどのように変化していかなければならないのか。これは、とても難しい問題でありつつ、非常にやりがいがあることである。

オンライン教育の魅力を引き出すために、今まで培ってきた経験をフルに使って、最強の授業を作成しようと考えている。もちろん、何を基準にして「最強」とするかも難しいところではあるが、少なくとも、その「最強」を追いかけ続けられる最強の生き方を維持すべきだと信じている。これを失うことは、講師生活を諦めることと同等なことなのである。

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