思考力

境界を境目に断絶

どうも睡眠がうまく摂れていない。昨晩は、寝つきは良かったものの、起きるのが苦しく、寒さに加えてさらに覚醒状態へ戻ることが困難だった。もはや、今起きている状態が架空の世界で、眠っている状態が、リアルな世界なのかもしれない。自分の中で、そのような境界線を境にしたそれぞれの人間がいるのであれば、覚醒している今の自分は、ずっと睡眠中の自分に仕事を放っておきたいのだろうか。少なくとも、今、半覚醒状態を繰り返しつつ10時間近く眠っている自分は、このまま次の眠りの中にいる自分にバトンタッチするのは、なんとか早めにしておきたいと思ってしまう。

ふるさと納税で手に入れた「ヨーグルト製造機」。まさに、これを使用してしまえば、スーパーで賞味期限が切れかかった特売のヨーグルトを狙ったり、そもそものカップに小分けされたヨーグルトを買う必要もない。昨日は、テイストを変えて豆乳で作ったヨーグルトにしてみたが、美味。それに、レモン汁やら蜂蜜やら、果物の原液を加えれば、もはや自分で作ったオリジナルのヨーグルトしか飲めない状態にまで行ってしまいそうだ。タピオカみたいに廃れる商品でもないわけだし、腹がグリグリに下してしまう直前に留め、腸内環境を整えれば、睡眠の質も改善されるかもしれない。「腸は第二の脳」などと言われるが、今行っている「ヨーグルト版錬金術」は、このまま継続すべき習慣となるであろう。

暖冬になるという予報だが、やはり12月であることは事実であり、今日のような寒い日はくるわけで、このようなときには、つくづく自分が会社員でないことに安堵するし、逆に会社員であった頃の自分が、どれだけ体に鞭を打って仕事をしていたのかがわかる。そんな状態で、自分が今まで積み上げてきた経験を馬鹿にされたり、完全に崩壊している人事課の島流しのような采配に耐えていたのだから、数年たった今でも、そのトラウマが根深く残っていることは、当然だと思う。何か作業をしているときに、フッとそのような黒くて鋭い鋭利な記憶が起き上がってしまい、架空の相手に対して、暴言を履いて威嚇している。被害を受けた側がカウンセリングや服薬をしているのに、逆の立場のニンゲンがのんべんだらりと生活しているという逆説的な方程式は、自分には生涯理解できないままになってしまう。ただ、それこそが、人間なのであろう。

こんなことを書いていたら、強烈なフラッシュバックが来てしまった。今のフラッシュバックは、記事を書いているときには起こらなかったレベルの強さのトラウマだった。まさか、自分の大切にしているこのブログ作成の中で、このような不意打ちのトラウマが襲いかかってきてしまうのであれば、どこかで恐怖心が暴発してきてしまい、記事を書くことだけでなく、文章を書くという行為そのものに、恐怖を感じるようになってしまう。それだけは絶対に避けたい。

「カッとなる」。そんな強い生きる上での「アイテム」が欲しかった。じっと堪えること、耐えた方、我慢した方が偉いという考えの中で成長してきた。そのおかげで忍耐力がついたのかといえば、決してそういうことでもなく、諸刃の剣のように、我慢をしてカッとなれず、その怒りがメラメラと憤りに変わり、相手を許すということができなくなってしまう。そうなって仕舞えば、その場で「カッとなる」よりもたちの悪い立ち位置になってしまう。他ならぬ自分にカッとなってしまう。それが、今回の記事を作成していたときの強いフラッシュバックなのかもしれない。瞬間的に怒れるだけの能力が欲しい、でも、それは無い物ねだりになってしまうのかもしれない。

そんな自分といかにして付き合っていかなければならないのか。効率よく「弱い」自分の暴走を制御していかなければ、眠っているときのご主人様である「もう一人の」自分にまで悪影響が波及してしまう。カチカチと、Macのキーボードを弾く。そして、思ったことをつらつらと書き上げていく。最近では、下書きというのは頭の中でさえ出来上がっておらず、書いていくうちに勝手に言葉が先行していく。すると、自分でも思いもよらなかった文章が勝手に走り出して、どんどん文章が拡大していき、思いもよらぬ方向で完結することが「常」となった。これを離れ業と定義していいのかわからないのだけれども、毎日の積み重ねで磨き上げた能力だと思えば、文章を書き続けることというのは、私をガッチリと支える生きがいとなっているのだ。

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