思考力

踏んで蹴り込む考え方

たった今、「フライングゴミ出し」をしてきた。明日の朝まで、まだ12時間以上あるわけだから、フライングではなく、「反則」だ。日曜日の夜などは、週明けの月曜日を見越して、かなりのフライングが見受けられるのだけれども、木曜の夜のフライングは、私がトップを走っていて、選考には誰もいないゴミステーションにゴミ袋をシューティングしてしまった。このような行いをしているのだから、自分だって、過去に攻撃してきたニンゲンを執拗に批判することはできない。

今日は、このフライングが最初で最後の車乗車となった。今朝、なかなか起きられず、さらにグズグズとブログを書き、海辺で滑るスケボーのセッティングが長引いてしまって、もう、暗闇の中で新しい組み合わせの板の調子を確かめに海岸に行くことは諦めた。日没間近に試乗したボードは、自分の予想よりも鋭角にキレを増し、ほとんど見捨てていた板だっただけに、息を吹き返してくれた子供をあやすような感覚になった。部屋には、先日息を吹き返した観葉植物が、昨日カーテンに擦れて見る見る枯れてしまい、再度愛着が薄れてしまっている。ただ、今回は、枯れ果ててしまった葉っぱを「断髪」し、次の新しい葉が到来するのを待つことにする。

今、ブログを書いているのは、明日、起き抜けに車に乗り込んで、今日の板を海辺で滑らせたいからだ。記事を書いて、いたを4本車に積んで置けば、あとはエンジンスタートと共に、スケボー覚醒モードとなる。今日みたいなグズグズの駄々っ子のような「愚」を避けるためには、これくらいのお膳立ては必要だ。なんとも用意周到な自分のプラン。それを歓迎するかのように、明日の気温は、とても高いと予報されている。運転していると、日差しで汗がにじむこともあるくらいの今年の冬。去年は、車すら持っていない極貧状態だったのだから、なんとも出世したものだと、我ながら感心してしまう。

若い頃、自分に鞭を打って、なんとか早朝に、いや夜明け前に波乗りに出かけようとして、板とウェットと小物類を車に突っ込んで寝ていた。でも、冬の朝ともなれば、日差しがなければ東京であっても凍えるような寒さ。そんな中、真冬の海に行くのは、本当に至難の業であり、なんとか「有料電話波情報」を聴き、波がないからという理由で二度寝していた。妥協と言えばそれまでだが、やはり独りで冬の海に行き来するというのは、自分の中では難しかった。その当時、もう身体ごと千葉に引っ越してしまえばよかったと今になって思うが、そこまでの自信と勇気は持ち合わせていなかった。ただ、有料波情報の情報を聴きながら、受話器を耳に当てたまま寝落ちしてしまったとき、自宅の固定電話だったから、次の月の電話料金の請求に対し、親に説明するのが難しかったことを記憶している。時は、「ダイアルQ」の時代。今で言う、出会い系サイトの固定電話版だったのだから、そちらの方をうちの親は心配していたのかもしれない。

「振って加速する」から、「踏んで加速する」。このような動きを、スケボー に乗りながらイメージするようにしている。従来の考え方である「板を振る」という考え方を、抜本から見直し、それを修正するというのは、とても勇気がいる。なかなか上手くいかない。そこに自分なりの理屈をつけて、従来のやり方に戻ることは簡単なのかもしれない。でも、本当の動きを「理解」した上で、自分のやり方を改革し、新しいスタンスを身につけようとすることは、正しいことが多い。従来の正論というのは、現在の「駄論」としか解釈されないことが常である。それが、反対であればあるほど。

かつて、「地球が回っているなんて変なことを言いません」と強制的に誓わされた人もいれば、頑なに自分の考え方を曲げないで屁理屈をこね、私の考えを全否定して学力を見る見る低下させた者もいる。新しい考え方を手に入れるためには、一見すると遠回りに見えることであっても、一度自分の考えを捨て、さらに一定の期間、自分の中で熟成させるという柔軟性が必要なのだと思う。そうしなければ、現状から脱皮することが困難になるかもしれないし、実際のところ、新しい考え方こそが、実力をさらに高めるチャンスだと気づくことだってある。

「踏んで加速させる」。板の動きを「鼓動」だと考え、板はどのような踏み込みをすればいいのかを、毎回のターンの時に考えながら踏み、蹴り込んでいる。そして、その「想い」が、最適に板に届くよう、板の方にも、カスタムを求め、互いの実力と呼吸を合わせて成長している。これは、何か「道具」を使うスポーツなどに精通した人ならば、共感してくれるのかもしれない。もちろん、価格と性能が比例するとは考えないほうがいいし、そこをつけ込んで、ビジネスという媒体が存在している。だから、あくまでも自分の中での意識を、板の動き、板との角度の限界を考えて練習する。そして、そのような考えまでたどり着けたのであれば、まさに、年末の断捨離の中の大きなモノの中に、「古い価値観」というのを入れて、燃やしてしまいたいものである。

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