思考力

少年の老眼鏡

 

昨日は雪であった。月に一度、東京へ行き、病院で薬をもらいに行く日なのであるが、それと見事に被ってしまった。デートの時に、しゃっくりが止まらなくなる確率と同じくらいだろうか。粉雪の舞う東京は綺麗であり、ダウンジャケットの上にはサラサラとした雪が落っこちてくる。1ヶ月分いただく大量の薬が出来上がるまでは、だいたい1時間以上かかるので、とうとうツルの部分にヒビ割れからカケのようなものができた状態になってしまったメガネのパーツ交換をしてもらうことにした。

コンタクトレンズはもちろん、メガネの処方箋というのは、眼科医がしなければならないというのが法律で定められている。何にしても眼だ。一時的に視えなくなってしまっても困る大事な部位を、医師免許も持っていないメガネ販売店のスタッフの手に委ねるわけにはいかない。一度それをしてしまって、一気に視力が落ちてしまったので、特急電車を使って一回乗り換える駅にある眼科に行くことをためらうことはなかった。いや、むしろそれは当然なことである。法律で決まっているのだから。

私は、東京で40年以上生活をしていたので、神経科や眼科、歯医者などの専門的な分野に関しては、東京の医者にかかる。そんな健気な患者に対して診察をしてくれるドクターは、親身になって診察をしてくれる。ただ、昨日、一番ショックだったことは、目の検査をしている間に、「老眼」の検査までされたことである。45歳くらいから始まるそうで、とうとう自分にもやってきたかという落胆の気持ちが強かった。そんな眼科医との付き合いは、私が小学生の頃からなので、実に30年以上の付き合いとなる。なかなか感慨深いものがある。小さかった少年が、今や老眼の検査をする。月日が流れる早さを実感した。

そして、2時間近くかかっても、まだ薬ができてできていなかった薬局に喝を入れ、渋谷のメガネ店へ。このメガネもこだわりにこだわり抜いたメガネなので、新品にすることなく、パーツ交換で済ませた。何事においても、生活をする上で必要不可欠な関係になる「もの」との関係は、末長く続けていかなければならない。そうしなければ、自分が大切にしている何かが簡単に消え、もはや取り戻すことが困難になってしまうであろうから。

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