思考力

トップが考えるべき使命

幸せに生きる。そのためには、与えられた仕事や、掴み取った仕事に対して、前向きな姿勢をとり続けられなければならない。なぜなら、仕事というのは、人生の大半を占めている訳であり、そこがグタグタであれば、人生そのものが歪んでしまいかねないからだ。そう考えると、好きなことを仕事にして生きられるというのは、本当に幸せなことだと思う。逆に、致命的なのは、年収が1000万だとしても、幸せではない生活、むしろ冷め切った生活を送ってしまっている場合である。

とりあえず、自社を設立して2回目の確定申告の時期が来た。おかげさまで、不労所得まで得られるようになり、順調とまではいかずとも、それなりの収入を出せるようになった。こうやって、毎日毎日ブログを書き続けることも、もはや苦痛ではなくなり、目が醒めてから歯磨きをし、淹れたてのコーヒーをすすりながらの文章作成は、なんとも幸せなひと時でもある。こんな幸せな生活もなかなか得られないはず。とても美しい人生を手に入れられていると思う。

このような生活を送っていると、SNSで誹謗中傷を書き込んでいる者や、偽物の正義感で他者を批判しているような人間の情けない愚行に対して、一種哀れみのような感情すら湧いてきてしまう。それだけ自分の人生が充実すると、世の中の仕組みを落ち着いて考えられるようにもなる。例えば、ブラック企業で完全にアタマが麻痺した状態に陥ってしまったニンゲンは、上層部の偽りの正義感を植え付けられ、勝手に自己陶酔してタスクをこなそうとする。そうなってくると、目が醒めた頃には、カラダかココロか、その両方かが壊れている。それすら気づかなければ、行き着く先は、ご想像にお任せである。

このような歪な仕組みに気付けば、がむしゃらに働くことだけが美しい生き方ではないことにも気づく。税金の流れや、雇用スタイルの変化、生涯未婚率や株価の推移などを、自分の頭で冷静に考えれば、自分の隠れられるカタツムリの甲羅のようなモノに閉じ困らなければならない時が来ることにも気付ける。まずは、自分の安全を確保する。綺麗事抜きにして、それが第一優先されるべき選択肢だ。学校であれ、職場であれ、ある意味では強制的にモノゴトをテキパキ行うための軍人養成所とも言えるのだから、脳を毒されぬうちに本質を冷静に見抜ける術も持っておかなければならない。

もはや、疫病が流行り、それが当たり前の時代へと突入してしまった。第三次世界大戦とも言えよう。医療は逼迫し、国民の生活は貧困の一途を辿っている。2022年1月末現在、蔓延防止の特例措置がとられ、コロナの第6波が到来しようとしている。二足歩行になって、脳味噌が肥大した人間という生き物は、物事を深刻に考えすぎる傾向にある。臆病な生き物の第一位を獲得したわけでもある。ただ、生きる意味というのを追求できる第一位も獲得したのである。それなのであれば、自分の生きる意味を熟考し、明るく悩める自分を目指すことが大切なことではないだろうか。

-思考力