思考力

変換され、返還を待つ

この記事を書いていれば、今日の出来事を思い出しながら、いつもの調子で文章を作れるのだけれども、今回は、1日のうちで行った「ひとつ」のことに焦点を当てて、話を進めていこうと思う。

私は、昨年の10月に自転車で転倒し、頭蓋骨二箇所と、腰の骨、および鎖骨を骨折したというのは、このブログで何度も報告している。脳挫傷という一生モノの後遺症は残ってしまったし、高次脳機能障害という脳の認知判断力なども、否応なしについてきてしまった。ただ、こうやって文章を書いたり、歩くこと、まして毎日スケボーもできるし、車の運転だってできる。今は、ナマポの状態でもないし、車を手に入れてしまえば、もう自転車を漕ぐという行為は私にとっては、早足で歩く程度の感覚でしかない。通院の時だけ、自転車で最寄りの駅に行くように決意しつつも、やはり、駐車場代300円を支払って、ゆうゆう電車に乗って東京へ向かった方が、精神的にも良い。だから、もう、命懸けのリハビリと治療で回復した私にとって、アパートの駐輪場に置いてある、かつての「相棒」は、不要になっていたのだ。

新しい年を迎えるにあたり、やはり厄落としの意味も兼ねて、この自転車とも決別しようとしたのだが、やはり自転車を買い取ってくれるという店であれ、ママチャリは買取不可であったり、処分するにも費用がかかってしまう。でも、購入した店で、購入時に、自転車を廃棄するときには買い取りもしてくれるということを約束してくれていたので、そこへ相談することにした。

私が、千葉に来て、車もなく、引越しと同時に持ってきた電動自転車のメンテナンスをしてくれていた店。おじいさんが運営している。もちろん、ホームページなんていうものはおろか、看板もない、ただ昼間に旗がなびいているだけのそうこのような自転車屋。耳がすっかり遠くなっていて、なかなか意思疎通が難しい。でも、腕は確かであり、今まで何台の自転車を修理してきたことか数えられないことを、私の指よりはるかに太い五本の指が示していた。

今回、自転車を買い取ってもらうにあたり、「高値はつけられないよ」という一言から始まり、とりあえず手続き上必要な住所の確認などをしてもらっていた。その間、段ボールの上に、ひとつ五千円のヘルメットが、数個置いてあった。自転車購入時には、ヘルメットの着用努力などという言葉はなかったのだけれども、皮肉なことに、私が大怪我をした次の年度に、ヘルメット着用が推奨されるようになった。一回、メンテナンスに出したときに、ヘルメットは高いモノではないから被ることを勧められたのだが、車を買うまでの付き合いとなる自転車に、ヘルメットの購入は、スルーした。

今日、「昔の相棒」の査定額が出る前に、こちら側には一円もいらないから、自転車の買い取り金額をこのヘルメットに当てて、次に自転車を買う人へ無料でヘルメットを差し上げて欲しいと提案した。聴力の関係であまり理解してもらえなかったので、奥さんを呼んでもらい、この複雑な事情を理解してもらったのだが、奥様もこちら側に何の得もない提案に、少し戸惑っていた。そして、その提案が通り、私は自転車と別れ、晴天の千葉の国道沿いを、歩いて帰宅することになった。

お金は巡り巡って自分のところへ返ってくる。その言葉を唱えるときに、下心があったとしても、何らかの形で戻ってくるという真理があるようだ。少なくとも、この「偽善」とも取られかねない行為をした後の帰り道で、清々しい気持ちにもなれたし、仮にあの店で自転車を購入してヘルメットで大怪我を避けられたり命が守られたりするのであれば、それはこの上ない喜びとなる。もちろん、何事もないかもしれないし、もらっても着用されないかもしれない。でも、次の人へ何らかの安全運転の意識が高まるはずだから、大きな円を描いて、自分の心は満たされるものだ。

その後、いきなり萎れてしまった観葉植物を専門家に診てもらうために、車でホームセンターへ向かった。何とも、水が不足していてカラカラの土になっていることが原因だった。毎日、葉水や日光浴をさせていたにもかかわらず、枯れる時は早い。該当の観葉植物は、葉を見て楽しむ種類のものだったので、自分が容れていた鉢では、土も容器も小さすぎたそうだ。だから、土と鉢を買い、初めて土換えをしてみた。今、まだまだ首を垂れている。結構、重症なのかもしれないけれども、この植物の回復は、こちらとしては祈る以外もう方法や手段はないはず。

毎日、自分を苦しめている「フラッシュバック」。ここまでの苦痛にもがいているのであれば、やはりどこかで見切りをつけなければならない。いっそのこと土を入れ替えるくらいの覚悟で、心の畑を耕し直すべきなのだろう。この年末の差し迫った時期に、どこかしらの見切り発車のタイミングを見出さなければ、どこを引っ張っても心が揺れ動き、崩れ去ってしまう状態に陥ってしまう。吉と出ないにせよ、行動することが今の自分には不可欠であり、静はそのまま「不動」となって、朽ち果てるとでも思っておこう。

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