思考力

冷えた朝のハイスクール

目が醒める。でも、少し微睡んでいれば、すぐに眠りに落ちる。あの一瞬の気持ちよさを、3回は体験できたと思う。二度寝という言葉に魅力を感じる人は多いが、三度寝ともなると、もはや有り難いのを通り越して、少し不安にもなってくる。仮に、会社員であったのであれば、こんな怠惰な起床は考えられないし、玄関に転がっていた清涼飲料水は、昨日の深夜に近所の自販機で買ったものだと分かったのだから、寝つきは全く良くなかったのだ。昨日の自分を労ってあげたい。

微睡むといえば、やはり自分の身体が正常に反応しているのかを考えたくもあり、外気の冷えからくる眠気が原因かもしれないので、Twitter Xや、アップルウォッチのSiriなどで、今日の気温の低さを調べてみた。やはり、冷え込んでいることは確かで、冷え込む朝の起きづらさというのは、健常者であっても同じなのだから、今日の私の三度寝は、ある意味では正常だったのかもしれない。日曜日だから、全国的にも、この冷えは耐えられるのかもしれないが、月曜日からは、10年に一度の大寒波が来る予報なので、今晩の「サザエさんブルー」は、一般の人たちには、とんでもない重荷となるであろう。

もはや、いうまでもなく「フラッシュバック」は起こるわけで、もうこんな現象は痛みを感じなくなるくらい麻痺してくれないかと思うのだが、自体はそんなに甘いものではなく、むしろ、日増しに自分に対しての嫌悪感が増してくる。そんな中、自分の青春時代をゴッソリと削り落とすような高校での出会いとも言えないような友人のことを、ふっと思い出した。とにかく同じクラスの友達付き合いなどなかったし、3年間ずっと同じメンバーで、男子校だったのだから、刺激なんていう刺激もなかったし、卒業して行き先がわかっている人など皆無に等しい。一人、Facebookで子供が生まれたということをアップしている人がいたけれども、その子供もそろそろ成人する頃だと思う。そう考えれば、そいつは、高校は一種の白昼夢のような3年間で、そこからは現実の楽しみや幸せを掴めたのだと思う。これには、本当に強い嫉妬しか抱けない。

独り身で、田舎に住んでいる自分。それと対比させたところで、もはや自分の感情がマイナスになることもなくなってきて、それこそ孤独な心が「麻痺」してしまい、これからいかにして自分という船の舵取りができるかを考えるべきなのだと思っている。昨年のナマポの時期とは完全に対照的な今年の生活だけれども、そこから大きな幸せは得られていない。でも、確実に言えることは、自分の中での時間的余裕はでてきており、そこからこれからの人生を立て直すことを、真剣に考えるフェーズに突入しているということだ。もう、誰かと自分を比較することはナンセンスだ。

それならば、多少強引とは言え、過去に受けた自分のトラウマを引きずるということや、被害を加えた張本人に対して恨みを抱く心というのは、とてももったいない行為だ。もちろん、心の中から生じてくる感情というのは、寝てみる夢と同じように、容易にコントロールすることはできない。でも、覚醒しているぶん、自分の中での心構えを、スッと軽くすることはできるはずだ。それができれば、苦労はしないとも言えるけれども、それをする以外に、方法はないとも思う。薬物で治療できる部分と、自分の中で解決できる部分を分けて考えたときに、自分の中野侍従トレーニングとして、後者においての積極的な取り組みというのは欠かせないのだ。

今日は、ムズムズするくらい海まで車を飛ばしてスケボーを蹴りたいという気持ちは起こらない。そんな日もあるのかとも思うし、これから日照時間が短くなり、やがて精神的にも下降することが生物的に必然となってくるのだから、自分を甘やかすという表現は極端だが、自分を解放してあげるくらいの余裕は持っていたい。そういう中で、事故検索の日々というのを継続していくのは、今の自分にとっては不可欠なのだと思っている。

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