思考力

見えないものを消す

ふと気づくと、今日のブログを書いていなかった。いつもは、夜明け前に書くのだが、最近の身体的不調と精神的下落、そして体内時計の崩壊が原因で、書きそびれたのかもしれない。ただ、このブログを更新しなかったからといって、罰金が課されるわけでもないし、誰からかクレームが来るわけでもない。しかし、自分の中で、1日のうち、せめて1時間弱ではあるが、ブログを書き綴り、自分の中の自分を見つめて見たいという気持ちになる。そもそも、そんな抽象的なことをしているから、こんな宙ぶらりんな状態になってしまうのかもしれない。

昨日は、一歩も外へ出なかった。誰とも会話をしないという日はあれど、部屋の外から一切足を出さなかったという日は、かなりレアである。翌日は、東京の病院の受診日ということもあり、腹ごしらえをして寝ようと、年末に向けて強烈に依存しているピザを注文した。あろうことか、眠剤を飲んだ後に注文していて、今、どれだけ待っているのか分からない。ドライバーが道に迷っているのかもしれないと勘違いし、店舗に電話をかけた。すると、電話越しの女性に、会話が通じない。私の耳には、彼女の声は聞こえているのだが、こちらからの音声は、全く伝わらない。結局のところ、私が眠剤を服用していて、舌が回っていなかったのが原因だった。呂律が回っていない、よっぽどタチの悪い酔っ払いの姑息なイタズラ電話だ。

こんな状態で自転車を運転していたのだから、今もなお残るというか、一生消えることのない脳挫傷を負っても不思議ではない。そして、私の双極性障害も、一生消えることはないのであるが、こちらもやや困った症状が出ている。とにかく寒いのだ。昨日一日、全く外出できなかったのは、何にも増して、この寒さが原因であり、これまた結局のところ、準備万端の祈願で食べたピザも虚しく、今日も寒さで病院へ行くことができなかった。意を決して弁当を買いに行くと、滝のような汗。これは、完全に自律神経が崩壊している。脳挫傷に双極性障害、挙げ句の果てには、自律神経失調症。外見からは判断できないながらも、本人にとっては苦痛極まりない三種のフルコースだ。

明日、新しい机がくる。果たして、どんなサイズの机だったかも憶えていない。やけに価格を下げられた商品ではあった。自分としては、定価であろうが、セール品であろうが構わない。自分の中でイメージしている機能が揃っていれば良い。高かろう良かろうではないのだ。こんな発想ができるようになったのは、千葉に移住してから。そう考えると、若かりし頃に、もっと早く親から自立しておくべきだったのだと、今になって思う。恥ずかしさ極まりないことではあるのだが。

最近は、よく自分に危害を加えた輩のことを思い出す。多くは、千葉に来てからのこと。ブラック企業に勤めていた頃の輩たちのこと。そして、そんな輩には、天罰というか、因果応報のような苦しみが訪れれば良いと考えているのだが、それも虚しい願い。インターネットで、いくら検索したところで、結局のところ「忘れなさい」という結果しか出てこない。そのようなことを発信しているサイトは、大抵は精神科の医師や心理カウンセラー。または、宗教家たちばかりである。神頼みというか、誰を信じれば良いのか分からなくなる。

とにかく今は、とにかく自分の体が感じている意味不明な寒気をどうにかしなければならないと思っている。

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