思考力

囚人の主人公

明日は、東京の病院へ行くので、万が一、ブログを書き損ねてもいいように、「超フライングブログ」として、前夜にアップさせてもらう。もし、余裕があれば、明日も追加で記事を書くが、とりあえず前乗りという形で文章を綴っていこう。何せ、今は夜の9時だというのに、午前中にぐっすりと仮眠というか、2度寝落ちしてしまったので、全く眠気がこない。それこそ、薬を飲んでも、全く眠気がこない。こうなってくると、最悪のところ、徹夜で病院へ行くことになりかねない。何やら、そんな焦りを感じていると、ブログのことまで気になってしまい、さらに焦ってしまうのだ。

早朝の5時か6時には、必ず同じアパートの若い男の子が仕事に向かうのだが、私には到底できないことなので、まったくもって感心してしまう。そんな車のエンジンを聴いていたら、2度目の睡魔に襲われて、午前中が潰れてしまったわけだ。そうこう言っていても、私とて、どこかの会社組織に属することを諦めたわけではないのだが、何せ、この年になって雇ってくれとなっても、塾業界であれば、時間の融通が効く学生アルバイトの方が使い易く、生活できる最低限のコマ数を確保させなければいけない中年講師は、非常に毛嫌いされてしまう。これは、最近の「御祈りメール」から彈き出された自分なりの結論である。

東京に未練がないというわけではない。それこそ、明日行く病院は、往復3時間以上かかる場所にあるわけだから、東京にいた方がよっぽど通い易い。急に具合が悪くなったとしても、やはり近い方が何かと便利だ。家賃だって、広さを求めなければ、十分に物件はあるわけで、なかなか千葉でなければいけないという理由もなくなってしまった。ただ、今の自分の中で、本当に、今までの経歴を活かすことが出来る場所が何処にあるのかは分からない。「転籍苔むさず」ともいうが、そろそろ契約更新の時期が迫っている今のアパートからの逸脱も考えなければならないのかもしれない。

気持ちばかりは若いままなのだが、やはり確実においがきているということを、最近は強く強く実感している。ストレスで過食気味になってしまえば、若い頃より太るペースが早くなったし、腹の肉を落とそうという気持ちも萎えてくる。やはり、身体からの「老い」のサイレンは、確実に響いてきている。これを、自分の中で、どのように解釈していくのかは未知なるところだが、自分の中に閉ざされた「もう一人の自分」という側面を考えているあたりは、10代後半から現在まで全く変化していない。もしかすると、いや、確実に、閉ざされた自分に関しての明確な答えという者はないのだと思う。

そろそろ夜も深くなり、眠れなくとも横になっていよう。真剣に自分について追求していた若い頃の自分に比べ、今の年齢の自分は俯瞰して物事や自分自身を分析して観られるようになっている。この人生の中間地点での休憩タイムに、何かしらの自分の中の閉ざされた「何か」に気づけるきっかけを作りたいものだ。

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