思考力

両極に座る

お金を稼ぐ力、使う力。お金というものを、この二つの側面で考えたときに、両方向ともに、金額のブレ幅が少ない方が、トラブルを起こりにくい。この二つの方向の金額が大きければ、お金が派手に動くわけだから、非常にトラブルが起こり易くなる。最近の私を苦しめている主たるものは、過去のトラウマばかりであるから、現段階で迷宮入りしてしまいそうな金銭関係のトラブルはない。つまり、現在はさほど大きな問題を抱えているわけではないのだろうか。動かすお金を最小限にして、人間関係を含め、持たざるべきモノをどんどん切り捨て、常に身軽にしておくことで、自分を身軽な状態にキープし、降りかかる火の粉を避けられるようになったのかもしれない。やはり、少なくとも、一番ややこしい「人間関係」での悩みは、あまりない。

お金と人間関係というのは、密接な関係を持っていて、お金があるところには誰かとの関係性が生まれる。だから、ミニマリスト的に持たざる生活を質素に送っている方が、自分の心にはゆとりが出ることになる。やはり、今の自分の人間関係での平穏さは、お金がないことで守られているようだ。ただ、お金がないということが、生活困窮レベルになってくると話は全く別問題となる。これは、思いっきり私も含めてである。このコロナ禍において、やはり生活に苦しくなるほどの経済的な苦痛を強いられてしまうことは、なんとしてでも避けなければならない。

ここまでくると、経済格差という二極化の差が、どんどん大きくなるにつれて、人それぞれの考え方や悩みの種類も変化してくる。持ちすぎて起こるお金の人間関係のトラブル。持たなすぎて起こるお金の生活苦のトラブル。年収800万程度が一番幸せな生活をおくれるというデータは、やはり間違ってはいない。むかし、飲み屋の女将さんに言われた言葉である「金は必要悪」という言葉も、今ならよく理解できる。ただし、ただし、であるが、やはりお金を追い求める事を、卑しいことだとか悪だという考えそのものを改めなければならない時代に突入している。

第三次世界大戦ともいえる、このコロナ戦争において、食料を確保することと同じく、多くのお金をキープしておくことは特に大切である。当然と言えば当然である。しかしながら、やはり人間らしさを優先したいというのは甘えなのかキレイゴトなのか。やはり、この両極に揺れる気持ちは、人間だから抱く葛藤なのだろうと思う。

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