思考力

加速のなかの架空

「お前の味方だよ」と言って、上手く人を裏切るような詐欺師のような友達がいるとしよう。そのような人間を、昔話に出てくる悪知恵の働くキツネのような悪者だと、ものの3分で嗅ぎ分けられるほどではない。いつの間にか眠り込んでいて、気づくと大切な何かを奪われている。しかも、眠っている間の出来事だから、犯人がわからず、大事な物を盗られるだけ盗られたら、その嘘の友情を語ってきた詐欺師のキツネが犯人で後から後悔することになる。

ある意味では、広告のキャッチコピーセールスも同じようなことが言える。◯日間で〇〇キロ痩せる方法、◯カ月完成英語リスニング術、ムキムキマッチョな◯ヶ月スケジュールなど。仮にそんな夢のような方法があるのであれば、人間のコンプレックスのほとんどは、長い人生の中で、瞬時に解決するわけだ。しかしながら、実際に大袈裟なセールストークのようなものは、ほぼ全てが甘い謳い文句であり、気づけばゴッソリと時間とお金を奪い取られていることに気づく。

欲望を「無」の状態にする。これは、とても難しいことである。クリスチャンが、日曜日の午前中に、賛美歌を歌い、牧師先生の話を聞く。仏教徒が、厳しい寒さの中、座禅を組み、写経をする。それぞれ、やはり「無」の状態の追求しているのは、あながち間違っていない。そのような無の真空の時間に、自分がパッケージングされることによって、世界全体のあらゆる現象の虚構に気づけるのかも知れない。言い方を変えれば、客観的に自分を俯瞰して見られれば、騙される心配は少なくなるということだ。

次々と押し寄せてくるネットからの情報。まるで、洪水のようだ。それを使いこなはずの人間が当惑させられ、機械に脳みそを破壊させられてしまっている。多忙で辛い毎日の中で、暇さえあれば、スマホをいじっている。シンギュラリティーの時代も、もうすぐ到来しそうだ。現代は、ある意味で虚構の利便性の中に隠された、加速度を増して襲いかかってくる盗人に気付かねばならないときなのかもしてない。

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