思考力

雨の間の光

兎にも角にも、雨雨雨。しかも、モロに2月の厳しい寒さが続いている。こうなってくれば、スケボーを車に突っ込んで、海岸へ向かうこともなくなるので、ガソリンもなかなか減らない。それはそれで良いのかもしれないけれども、家の中では、今目に見えるだけで「6台」のスケボーがディスプレイされていて、いろいろなパーツを移植しつつ、霧雨の時を狙って試乗するのだけれども、板が本領を発揮する前に、ザーッと本降りになってしまっていたりもする。結局、雨が止んだのが夜だとすると、今度は、街灯も少ない中でのスケボー試乗となるので、思いの外ひん曲がった角度でカーブする板を押さえきれずに転倒しそうにもなってしまった。

こんな感じで、なかなか本格的なスケートができないままの日々が続きつつ、いただけはどんどん「バケモノボード」と化してしまっているので、これをツイッター(エックス)で呟いたら、一人の人がDMをくれて、自分の拙いブログやYouTube、もはや閲覧のみとなりつつあったエックスを見てくれている人もいるのだと感心してしまった。自分のような弱小な人間の発信が、どこかで小さな灯火を焚いているのであれば、こんなに嬉しいことはない。別枠でサイトを作って、スケボーの線問題とも作ってしまおうかとも思ってしまうところだ。

部屋にいる時間が長いぶん、自分の部屋のあちこちのインテリアが気になってくる。最近では、ふるさと納税の返礼品で受け取ったインテリアも揃ってきて、どれにも随分と愛着が湧くようになった。そこでさらに運気をあげたいと願うようになって、トイレ、玄関の掃除に加え、今日は、風呂場もピカピカに磨いた。今、燻製材を焚いているので、あと少ししたらキレイな風呂場でリラックスできる。そして、なるべく部屋の明かりを浴びないようにして、自分の中での最高の寝室と共に、深い睡眠を手に入れたいとも思っている。

今日も、人間と会話らしい会話はしていない。薬局に行って、何かを買ったのだけれども、何を買ったのかもよく思い出せない。そして、そこで「カードで」と言ったことくらいしか覚えてはいない。それはそれで構わないのかもしれない。なぜなら、今の自分の周りには、目には見えないスピリチュアルな運気に囲まれているからだと思っている。別に、オカルトとか宗教のような価値観は全くないのだが、やはり自分の部屋の整理整頓がなされていると、心が安らかになることは確かなことだと実感する。

今現在、全く機能していないボードが、二台ある。これを、誰かに使ってもらいたいと思っているのだが、それは引き取り手ができたときに、無難に渡すのが良いと思っている。無理に捨てる必要もないし、押入れの奥に収納して置いたっていい。ただ、今こうやってパソコンをいじっているときに、その板が目に入ると、何やら恨めしそうな感じが伝わってくる。魂を入れて作成し、それに穴を開け、さらにそこに可能性が感じられないから、手放そうというのは、自分の勝手なのだと思う。ただ、この一見すると優しい気持ちこそが、「汚部屋」を再発させる強い引き金となってしまうのだ。

自分の考え方に対して、誰かが何かを感じ取っていてくれて、その感覚が、さらに他の誰かに伝わっていくのであれば、そこに口頭伝言ではない、今の時代のネットでの清い繋がりを見いだせる。今のうちに記事を書いて置いて、明日は気温は低いけれども晴れの日。明後日はまた雨になってしまうというのだから、明日はコーヒーを飲んで、ルンバの仕事が終わったら、一目散に海岸へ行こうと思う。愛車に愛機を入れて、心の底からエネルギーを出して、潮風の中をかっ飛ばしたいと思っている。

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