思考力

切り替えて乗りこえる

朝、ふっと目が覚めると、何かを忘れている気持ちになる。次の瞬間、「それ」が自分のトラウマのことだと気づくと、一気に気持ちが萎える。最近の朝は、そんなことばかりを繰り返している。カーテンを開ければ、見事に晴れ上がった天気の光が部屋に降り注ぎ、むっと思い熱風が顔を覆う。今日も暑い。スマホのライン通知には、オーナーから熱中症アラートの発令が出ていることを知らせるラインが出ている。もはや、こんなアラートが当たり前のように警告される毎日にも慣れたのだが、トラウマを思い出す毎日には慣れたくないものだ。

今日も、取り立ててやることがないはずだったが、昨日、整形外科に行って診察を受けようろしたら、整形外科だけ休診の日だったから、改めていく予定だったことを思い出した。今のドクターの診断を疑っているわけではないのだが、やはり精密な検査も必要だったし、何よりも、昨年死にかけた自転車事故での腰の写真と照らし合わせたかったというので、セカンドオピニオンが欲しかったのだ。そのときに既に腰椎が分離していたのか、それとも、その後の分離だったのかを知りたい。最悪、腰を折った勢いで、分離していた可能性もある。とにかく、この痛みの原因というか、いつから危険信号が出ていたのかを知りたい。

空白だらけの手帳を見てみる。次の予定は、来週、東京の精神科の受診だということは明記されている。自分にとって、この主治医とのカウンセリングや服薬というのは、とても大事であり、自分の心の中を客観視するためには間違いなく不可欠なのだ。そんな主治医に、さらに厄介な腰の痛みが出てしまったことを報告しなければならないのは、けっこう苦痛だ。人間の精神状態を一定に保つためには、外部からの変な角度からの刺激を極力避けなければならないと思っている。特に、自分の身体にとって、何か不都合な負荷がかかったときには、適切な対処や心構えというのが欠かせない。この腰痛と今後付き合っていくというのも、やはり大きな負担になってしまいそうだ。

自分と向き合うということ、目をそらして離さないということ。なんと苦しいことなのだろう。ただ、そのような経験を経なければ、人間というのは、押し寄せてくる波に飲み込まれてしまう。それならば、荒波に飲み込まれる前に、自分の力という経験値を客観的に捉え直し、その困難に対処すべきだ。そんな波を乗り越える経験を確実に重ねることで、少々の荒波など跳ね返せる力というのを習得できるのだと思うべきなのだ。

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