思考力

江戸のムスメ好み

腰の再検査というか、昨年、頭と腰を骨折したときに担ぎ込まれた病院へ行き、今の腰の状態と当時の腰の写真を比較してもらおうとした。院内は、とても混雑しており、よりによってこんなときに限って、スマホを家に忘れるという非常事態。ただ、スマホがなくとも、ゆっくりと時間が過ぎる苦痛を味わうわけでもなく、スマホ断食をするのも悪くないと思いながら、診察室へ入った。やる気がないというわけではないが、何やら横柄な感じの医者が座っていて、こちらに目を合わせることもなく、事故当時の写真に見入っていた。

そのときに知ったのだが、私は頭と腰の骨を折っていたのではなく、頭と肋骨の上の方を骨折していたという履歴が残っていた。それで当時の腰の写真というのはなく、比較のしようがないという。江戸っ子口調なんていう表現が当てはまるのだろうが、とにかく言葉に優しさがない。そもそも私のことを事故当時診てくれた先生なのかを問うと、「オレは、かわい子ちゃんしか憶えてねぇ」と言っていた。事故の後に、救急病院へ搬送されるほどの大怪我だったというのに憶えていないというのは、なかなか肝が座っていると思いきや、当時の私を診察したのは、夜間の当直の先生だったというのだ。それくらいすぐにカルテを見てもらいたかったのだが、とにかく横柄な態度なので、いちいち相手にするのもめんどくさくなっていた。

結局のところ、腰椎分離症というのは、小中学生の頃から運動していた人に多く見られ、その発見が中高生の時であれば、骨がくっつくこともあるが、私のような年齢になってからの発見では、もう手術くらいでしかくっつける方法はないのだそうだ。あえていうならば、今、偽関節という状態の骨の結合をキープしていくことが、この疲労骨折の痛みを出さない方法らしい。いやはや、膝、腰、肩、首、様々な爆弾が同時に爆発してしまったようだ。特に、疲労骨折という言葉の診断を初めて受け、十代の頃から自分の身体は苦しみながら私を支えてくれていたのだという事実を知り、感謝の言葉が出る。縁の下の力持ちという言葉があるが、まさに今まで痛みなど感じることもなく、自分が派手に動けていたのは、腰が何の文句も言わずに無理な姿勢で支えてくれたわけなのだから、感謝する以外何ができるというのだろうか。

保険証の有効期限が切れていて、自費で診察を受けることになっていたのだが、ただ横柄な態度のかわい子ちゃん好きな爺さんドクターの「ありがたい話」を聞いただけで、4000円以上支払うことになった。つくづく医者という職業は、儲かる職業なのだと思ってしまう。その職業に就くために、数々の苦労をしてきたのであろうが、それならばこそ、患者に対しては、江戸っ子口調ではなく、思いやりのある話し方で接して欲しかった。でもなぜか、昨日の医者には怒りが湧かなかった。それが染み付いている医者の言動というのは、とてもナチュラルだから、多めに見てあげるというか、納得することの方が先決になっていくのかもしれない。そんなドカンと座っていられる人に、少しだけ憧れを抱いてしまった。

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