思考力

10分の1を見つけてくる人

この1年間は、とりあえず教壇から完全に降りる形となった。ただ、これからもずっと教壇に立たないという選択肢を抜き取ったわけではない。お金は大切とはいえ、仮に、英語講師よりも遥かに稼ぐことができる仕事があったとしても、そこに人生を注ぎ込めるだけの値打ちを見出せないのであれば、その労働から得られる自分への報酬は、皆無に等しい。やはり、自分の精根を奮い立たせてくれるような寄りすがる場所が、他ならぬ自分の職業のステージであるのなら、それは何にも変え難い居所を手に入れられたと言える。

英語で「職業」は、“occupation”。この単語の語源は、”oc”「その方向へ」“cup”「掴み取る」“tion”「もの」。世の中には、やりたい仕事に熱中している人がいる一方で、やりたくない仕事に虚無感を抱いている人もいる。"occupation"の動詞形は、"occupy"「〜を占領する」なのだが、これは比喩的にも面白いもので、人生を支配するものが「職業」であり、その仕事に対して積極的な者は、仕事を支配しており、逆に、仕事に対してネガティブな態度で接している者は、仕事に支配されているとも言える。

毎晩、リラックスして眠りに就き、脳をリラックスさせ、就寝中には、無意識の中で心地良い夢を見て身体が休まり、次の朝を迎えるのに完全な回復ができている。そんな状態の人は、究極の健康状態に近づいているわけで、これから始まろうとしている神秘的な物語を創造できる。どんな人間であれ、意識していなくとも、自分の健康を最高の富としていることは間違いなく、人生の大半を「支配する」「職業」の舞台上で、最高のパフォーマンスを発揮することができる。

収入を増やすために欠かせない前提として、収入や投資よりも重要な要素がある。それは、自分が関わる仕事への「適性」だ。私が、教育業界を去り、一時的に「印刷会社」で勤務していた時期があった。紙がめくれる音と、業務上必要最低限の挨拶程度しか交わさない職種。もちろん、機械が見落とした文字の擦れや誤植を、人間の目で確認したり、最終のゲラを隈なくチェックするという作業は、書物などの仕上げには欠かせない。だから、コミュニケーションが少ないことを望む人たちにとっては、よく当てはま利、適性の合っている職業だ。

ただ、刻々と変化する状況へ対処し、自分の知識を詰め込んだ授業を披露していた私の適性とは、かけ離れていた。そのような「静と動」の世界の比較対象ができたので、やはり自分が、いかに教育に情熱を注げられるかが、よく理解できた。今携わっている仕事に対して、自分の「適性」に合っているか否かの二つで考えたときに、それは、その仕事を長続きさせられるかどうかという問題に、密接に関わってくる。自分の仕事が、金銭的報酬以外の何の恩恵を運んできてくれるのか。そこに、何も感じないのであれば、24時間変化し続けるメディアからの最新ニュースに耳を傾けることくらいしかできなくなる、なんら進歩しない人間のカタチをした「物体」になってしまいかねない。

 

目を輝かせて、今までの人生を自分の言葉で表現できるような人は、とても優秀だ。私は、英語講師として長年指導してきた経験の中で、本当に優秀な教え子と、多く出会うことができた。私は、その授業で扱うべき範囲をわかりやすく解説するのはもちろんのこと、10あるうちの“9”まで教え、残りの“1”に関しては、あえて教えず、次回以降の授業で説明するという指導を心がけている。そのような中、きちんと授業を受けた後に、自分の力で考える意識を常に保ちつつ、自分の力で授業を解説できるまでもっていく状態にしようとする生徒もいる。そのような優れた人は、合格することはもちろんのこと、その後の人生で大きく飛躍できることを確信する。

 

少し背中を押し、その後の学習を少し指示し、やがて独学で新しい課題をクリアできる能力を育むような人材。そのような受験生を多く担当してきたし、そのような学生が、その後の人生を充実させられるような授業をできているのならば、やはり自分に「転職」はなく、英語講師こそが自分の「天職」だと実感する。新型コロナウィルスが、どこかの国の生物兵器かもしれない。新型コロナウィルスが、どこかの時期に簡単に完治かもしれないし、諦めざるを得ない脅威かもしれない。新型コロナウィルスが、どこかの世界の発展の契機になるかもしれないし、下手な争いを助長するキッカケになるかもしれない。そのような可能性を、様々な角度から分析し、いずれ私を救ってくれるような頼もしい教え子に、今後も出会えると信じていこう。

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