思考力

吸収の過去を消去

早朝に目が覚めると、まだ5時くらいだった。スマホをみると、友人からのラインが入っていて、私は牛丼屋の写真を相手に送っていた。そういえば、昨晩は食欲に負けてしまい、フラフラする足で夜の牛丼店に行って牛丼を書き込んだ記憶があった。自転車で行っていたら、また転倒して大怪我を負ってしまう。すると、昨年の秋の自転車事故の悪夢が蘇る。緊急病院へ1ヶ月も入院することになるなんて、全く高い牛丼になってしまったものだ。

それから、再び眠りに落ちようとしても、再度眠れるほどの眠気があったわけではなく、ベッドで横たわっていると、過去のトラウマが蘇ってきて、もっと眠れなくなってしまった。こうなってしまうと、今日一日全部がイヤな思いを引きずってしまうことになるので、根本的な精神療法を受ける必要が出てきたのかも知れない。全くもって消える様子のない悪い記憶を都合よく消せる術があるのか分からないが、何かしらの手立てを加えなければ、やはり自分の中にモヤモヤとした暗黒がへばりついてしまうわけで、心身ともによくない。

改善されているはずだと思い、願いを込めて立ち上がっても、腰の痛みが消えていることはない。なんせ、疲労骨折という骨折の一種なのだから、昨日は慣れていた骨が、1日でくっつくわけもない。だから、過度な期待は、これまた自分の心身に悪影響を与えることになってしまう。歳を取るということは、自分の心身に蓄積された故障が、一気に爆発する可能性をはらんでいるのかも知れない。いや、これは確実なことだのだと思う。誰一人として、怪我をしたことがなかったり、心に傷を負ったことがない人がいないように、時間というのは、どこかしらで人間に負担を強いる厳しさをもっている。

一つの嫌な記憶を思い出してしまえば、それに連動して、同じような過去の苦い記憶を追憶する羽目になる。芋づる式という表現がぴったりだ。ここまで苦い記憶がこびりついてしまえば、これを払拭することは極めて困難であることは言うまでもない。ただ、睡眠薬を飲んで牛丼を食いに行ったことを忘れたように、薬の力でこの悪い記憶を消すことは、ある程度可能なのだとは思っている。ぼんやりとした頭を抱え、フラフラする自転車を運転しなければ、大怪我をすることはないのだと思う。精神安定剤の効果というのは、このようなところで出てくるのだと思いたい。

-思考力