思考力

新世代の憧れの的となる人

4月半ばも過ぎたというのに、朝晩は、ひどく寒さを感じる。現在蔓延中の「アレ」によるものではないと思うが、今だにダウンジャケットを着ないと、眠りにつくことはできない。朝も、とても寒く感じるので、なかなか起きるのも難しく、今日は「二度寝」をしようかと思ったが、寝起きの歯磨きを念入りにしているうちに、目が覚めてきたので、そのまま起きることにした。

前回処方してもらった薬は、入眠には効果がある反面、寝起きに口の中に「苦味」が出るという副作用があると言われていた。やはり、浅く目が覚めてくると、しっかりと口の中に不快感が生じているので、歯磨きも念入りに行う。今日は、それで「二度寝」を回避できたということで、あまり適切な表現ではないが、入眠にも目覚めにも良い薬と言えるのかもしれない。できれば、深い谷底に潜り込むような眠りを誘う自然の音とともに夢の世界へ入り、気持ちの良い朝を迎え、JazzやClassicを聴きながら文章を組み立て、そのままスキップしながら散歩に行けるような睡眠習慣をつけたいものだ。

朝、目を覚ました後のクリエイティブな仕事に向いている時間に、充電完了の脳を使って、毎日ブログを綴っているので、どうしてもブログの出だしは、自分の睡眠の話と精神状態から始まっているような気もするが、睡眠障害を克服するための「睡眠負債日記」をつけるのも、心地良い睡眠には大切なようなので、読者の方々には申し訳ないが、付き合っていただくことになる。ただ、みなさんを飽きさせぬよう、日々アレンジを加えているので、多めに見ていただきたい。

では、せっかくなので、今日は「健康」についての話から入ろう。「健康は富より勝る」とは、よく言ったもので、「お金の人生マップ」を作ることと同じか、それ以上に重要なことは、肉体的・精神的な健康を手に入れることだ。なぜなら、莫大な富を得たとしても、そこが病院のベッドの上で、余命を逆算したときに、自分が使い切れないような莫大な富であったのなら、それは経済的なゆとりどころか、精神的苦痛になりうる。「寝る間も惜しんで働く」ということが「美徳」とされているが、実は正反対であり、仕事ができる人ほど、睡眠を大切にしており、健康的な生活を送りながら仕事をすることが効率的なことを熟知しているので、内臓脂肪を貯めずに資産を増やすことを、常に考えている。

ゆとりがあるから健康に気を遣えるのか、ゆとりがないから不健康な生活になるのかは不明だが、たいていの一流ビジネスパーソンは、精神的に不健康な人からエールを贈られるどころか、恨みを買うことさえある。ただ、優秀な人は、全てにおいて自信があるゆえ、固いメンタリティーを兼ね備えている場合がほとんどで、頭を真空にすることで、ズボラな人間のタワゴトを遮断することができる。さらに、遮断するどころか、積年の恨みを抱いてくるヒトに対して、逆にエールを贈る「ゆとり」さえある場合もある。

テレビ番組を観なくなって、もう何年になるのだか思い出せない。別に、思い出そうとも思わないが、90年代の「テレビ黄金期」に放映されていた「電波少年」「ガチンコ 」「マネーの虎」などは、今でも記憶に強く残っていて、今、YouTubeで観ていても興奮する。昔の学校の会話では、当日に見逃した番組なら、次の日に内容を聞くことになるのだが、二番煎じの話はイマイチ面白くない。さらに、観なかったら話についていけなくなる。だから、しっかりとした曜日感覚と時間感覚があった。今では、YouTubeやNetflixなどがあれば、いくらでも同じ番組を観て、他人と話を合わせることができる。歳の離れた生徒と雑談をするときには役立つが、いつでもどこでも視聴できるという状態が、果たして良い面ばかりしかないのだろうか。

人間の意思というのは、それほど強いものではない。特に、自分の不得手とする勉強や仕事においては、長期間継続するということは、困難な場合が多い。YouTubeであれ、月額課金システムであれ、インターネットによる学習環境が整備されていたとしても、自分が心から手に入れたい目標への「渇望」がなければ、視聴継続をすることは難しい。しっかりとした意志がないまま、パソコンの画面の中で動いている華麗な授業をするカリスマ先生の授業であっても、それをもとに学習を継続できる人は、なかなか多くないはず。ただ、昔は、実際に予備校へ足を運んで授業を受けるから、しっかりと継続できた時代だと言いたいわけでもない。実際に成果を出すことができる人というのは、どんな時代であれ、自分の人生の航路をキチンとしたマップに描き、明確なビジョンをもって、安定した状態で目標を達成している。

90年代のテレビ黄金期にテレビに釘付けになっていた私の世代であっても、その同年代の人たちが、今頃どのような人生になっているかは、大体見当がつく。好きなときに好きなだけ自分の欲している情報を手に入れられる時代に突入したときに、かつての自分が、テレビから無作為に流れてくる情報に対して、いかに無批判な状態でメディアに踊らされていたかを反省し、20年程度の短期間で変化した情報速度と情報量を、自分に適する分量で、的確に処理できるかどうか。それを真剣に考えて日々を生活している同年代の人と、「昔の番組は面白かった」というだけで終わってしまう人。その差は、数年もしないうちに埋められぬものとなる。

時代を精読することなく、置き去りにされていくことを憂い、情報を巧みに活用している者を妬む側になるのか。自分から時代の流れを読み取り、自らを変革させる側になるのか。前者の生き方も後者の生き方も、個々人の価値観によるものなので否定も肯定もしないが、少なくとも私は後者の生き方を選択し、私の生き方に憧れをもって「付き合ってください」と誰かに慕ってもらえるような人材となりたいと思っている。

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