思考力

痛みに適度な水

よく、目覚めは良くなかった、良かったなんていう出だしで始まるブログを書くことが多いが、今日は、いつもフラッシュバックする内容が、夢に出てきてしまい、もはや避けることすらできなかった。悪夢なんていう表現もあるけど、自分の中で考えをスッスッと交わしていても、夢の中にまで嫌な記憶が出てくるのでは、もはやどうしようもない。しかも、現在進行形でリアルに描写されれば、もう自分は「あの時」を2度も体験することになる。夢の中で出てくるというのだから、もう催眠療法なども効き目がなくなってしまうのだろうか。トラウマというのは、本当に根深い。

8月いっぱいまでは、ずっと健康的なリズムで生活していたのだが、いったん狂ってしまった体内時計を修正するのは、とても難しくて、ここ1ヶ月程度の生活リズムというのは、ガタガタ。どうやって対処すべきなのかは分からないけど、一旦どこかで大きく自分の中を整理しなければならないと思っている。それは、かなり強制的な治療となるから、入院とか、何処かへ旅行するとか。何日か、自分の中のワダカマリのようなものを、その行き先に、ごっそりと置いていきたい。そんなことを願うことしきりだ。

昨日、秋から初冬にかけて着るジャケットを買った。断捨離を多くする中で、かなりの洋服を捨て、もう買う洋服もないと思っていたが、薄手のナイロン素材のジャケットがなかった。外房の海辺は冷える。もう、潮風も冷たくなってきていて、それに当たっていると体が冷えるような時期になってきた。だから、かなり購入には迷っていたのだが、思い切って買うことにした。買い物依存ではないが、かつてそのような状況にもなったので、同じ店に3日連続で通い、意を決して一番安いアイテムにした。昨年モデルのアウトレット品だ。それならば、自制心が働いているという証拠だと自分自身に納得させ、しっかりと家計簿アプリに記入できた。帰りに外食をしようとも考えつつ、大きな出費の後だったので、自炊して帳尻を合わせた。

今朝、観葉植物の本格的な水やりをした。結構乾燥していたので、土の部分にたっぷりと水を与える。前回の水やりでは、多く与え過ぎてしまい、1つ枯らせてしまったものもあったので、今回は慎重にやった。でも、なんとなく多くあげると元気になってくれるかもしれないという期待と、どんどん大きくなる観葉植物に、自分から栄養素である水を与えるという行為は、とても楽しく、またもややや多めに水をあげてしまった。なんとも過保護なオーナーだ。そして、水やりを終えると、アパートのポーチに植物たちを並べ、それを観ながら、コーヒーを1杯飲んだ。どれも大きく成長していて、特に、大きな鉢に入れた、葉が大きく強い植物は、どんどん大きくなっていた。哺乳類の動物を飼うなんて自分にはできないことはわかっている。でも、観葉植物は。自分のケアが少し怠っていたとしても、なんとか帳尻を合わせられる状態で世話ができる。ズボラな自分が楽しめる育成を楽しめるから、観葉植物を育てていることには、とても満足している。

今日は、ルンバを作動させなかった。何やら、腰の調子が悪い。もしかすると、腰の調子が悪い日に、毎日やっていた掃除や風水的な行為を考えなかったことが、精神的不調につながってしまっているのかもしれない。それならそれで受け入れるしかない。与えられた痛みや苦しみを嘆いてはいけない。それを受け入れ、それと共存する方向を見つけ出し、それを乗り超えられるような生き方を目指す。それこそが、よりよく生きるという姿勢につながっているのだと思う。そして、そこに願いをかけることは、ただの神頼みにはならない。自発的に行動するという意志が働いている。生かされてはいけない。生きるのだ。

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