思考力

お菓子の名前

アメリカの生き方の理想が、どんどん“FIRE”の方向へ向かっている。早期リタイアをして、経済的自由を獲得する状態。この考え方は、資本主義社会を生きる上での必須の考え方である。もちろん、不正をしたり、ラクをしてお金を奪取するという訳ではない。20年前の日本の常識は、現在ではもう通用しないことを、多くの日本人は薄々感じてはいるものの、親世代の考えをマトモに受け入れることが最善という「思考停止」状態。これを「素直」とは言えないのだ。一生お金に困らない生き方を目指すことは、とても健全であり、やりたくもない仕事をしてカラダを壊しては、健やかに生きるという本来の生物の本能からは外れてしまう。

健康でなければ、自分の夢や理想などは、決して叶わない。贅沢はせずとも、家族と過ごす時間や、美味しい食事に対する想い、心から自分の趣味に没頭できる環境が欲しい。誰もがそう願う。当たり前だが、幻想的な物語を描くことなら一切お金はかからないわけで、誰もいない素晴らしい海で、グラッシーウェイブが割れ、我先に波を独占するような粋がりサーファーとの波取り合戦とは無縁のプライベートビーチで、波乗りをして過ごす。私は、癒しの音楽を聴きながら、こんな贅沢な時間の始まりを期待している。このような自分の夢を描く自由な時間を取れず、そんな精神的余裕もない状態のサラリーマンたちが、twitterやYouTubeのコロナ禍のトレンドのコメント欄で「愚痴」を垂れ流しにしている。

そもそも、我慢に我慢を重ねて働いている今の真っ黒な会社というのは、幼い頃から苦しい受験戦争に耐え忍び、「厳正なる審査の結果〜…。」というコピペ丸出し不採用通知を数多く受け取りながら、最後に残った自分で選んだ組織。そうなると、やはり文句の言いようがなくなるようで、汚い上司からの「セクハラ」「パワハラ 」「モラハラ」などの「ハラハラ」してしまう言動に対する仕返しを考え、其奴をギャフンと言わせる作戦とコツを得る為に、インターネットの悩み相談に書き込んで寝る。これで、ぐっすり眠れるわけもなく、自分自身を追い込み続けるか、自分自身を組織から退かせるかの2択になってしまう。現在の私の意見としては、圧倒的に後者をオススメする。

辛く、苦しい、悩みの時間の中、もう一度奮起しようとしても、根本的に関わってはいけない会社や、関わってはいけないニンゲンというのが存在する。前者はブラック企業。後者は詐欺師などの搾取を目的に近づいてくるヒト。このようなモノの存在に気づいたら、一目散にフルスピードで逃げ出さなければならない。根性があるなしの問題ではない。運が悪かっただけだ。幸い、日本では「生活保護」などの社会保障制度が整っているわけだから、いくらでも再起することはできる。もっと言えば、常に「リセットボタン」を持っていて、それを積極的に使う勇気が大切。ましてや、自ら人生をゲームオーバーにするなど、厳禁も「厳禁」。「現金」がなくても国が救済措置を用意してくれている、そのような意味では本当に「恵まれた国」なのだ。

 

私も、会社員の頃には「ボロ雑巾」の如く扱われたが、今ではフリーランスとして、自由にブログを書き綴っている。固定された収入が約束されているわけではないので、収入の面では安定せずとも、このような時間的ゆとりを得られている人生に、心の底から幸福を感じている。Twitterでフォローしている人やフォロワーは、フリーランスで活躍している人のみに絞っている。余計なニンゲンのくだらないツイートなど時間の無駄であり、不快な思いをするだけ。雑音にしかならない情報は遮断している。

 

そうなってくると、やはり自分と同じような考えをもっている人が多く、自分の考えが整理されたり、自分の考えに共感したりしてくれる人の存在に感謝する心が芽生える。そして、私が関わっているTwitter発信者のほとんどが、かつての会社員時代を後悔しつつ、自分の道を切り開けたことに満足している。そのような人たちは、収益ゼロからのスタートであっても、自分の可能性を信じ、「サイレントピリオド」を乗り超え、結果を残している。やっと会社員時代の月収を稼げるようになったと喜んでいる人、会社員時代の数倍収益が出ている人、また、現在副業でブログなどのSNSで発信しつつ「数百円」の収益が発生した人など。皆、140文字程度の中、心の底から喜び、その輝きがこちらに強く伝わってくる。なんとも微笑ましい。面白いことに、ネガティブな発言が、全く見当たらないのだ。

私が会社を辞め、自由の道を探して歩き始める決意したことを熱心に話していたとき、それを嘲笑し否定し続けた人がいた。大切な友人だったとはいえ、自分の人生に「エンジンブレーキ」がかかることが目に見えていた。後の半年程度経ったとき、かつて魔女のように私の考えを上から罵っていた人が、コロッと変貌し、私の考え方を知りたいと言ってきた。考え方が変われば、付き合う人も変わると感じた。人は、10年単位で付き合う人が変わるようだが、同じ考えを永遠にシェアできることなどないということを痛切に感じた時でもあった。

もし、従来の価値観に疑問を抱き、新しい生き方を求めているのならば、今までの付き合いを見直すべきだ。変化することに恐れて動かない人を、無理に変えようとしたり、止めたりしてはいけない。始まりがあれば終わりがある。これは真理。最終的に付き合い続けるのは、他ならぬ自分である。それも真理であり、そのような自分が、否応なしに「時間」という流れに乗っかって「変化せざるを得ない」というのも真理なのかもしれない。このコロナ禍で、付き合う人間を変えるが如く、企業側も人材を切り捨てざるを得ない状況でありつつ、そこを埋める為の新しい人材採用にも苦戦している状況らしい。

今、インターネットが信じられぬ勢いで世界を変えている。そのスピードの勢いの強さに気付いていない人たちは、間も無く泣きを見る事になる。これは、避けられない事実であり、曲げられない“fact”。嘘や不正ができない世界が、ついに到来した。全ては、コンピューターが完全に管理している。その最たるものが「ブロックチェーン」だ。一部のコンピューターの改ざんを、周りのコンピューターが瞬時にそれを見抜き、指摘し、遮断する。その犯人など一発で特定できる。

現在、主に仮想通貨で用いられている技術だが、この仕組みが他の領域へ拡大することは間違いない。金融での不正取引は完全に不可能になるから、銀行の存在がなくなる。証券取引、物流や流通業界にも拡がり、正確かつ効率的な取引が可能になる。医療カルテの電子化や処方箋などの不備が許されないものの管理もしやすい。人為的確認が不要となり、人為的犯罪ができなくなる。「ブロックチェーンスマホ」なるデバイスも登場したくらい身近なものになりつつある。

「ブロックチェーン」を「お菓子の名前」と言われて笑えない人は、搾取される対象人物と言える。

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