思考力

豚に3つ

 

コロナ禍でなくとも、外房の田舎暮らしをしていれば、電車に乗る機会があまりない。世間は、多少はクリスマスのイルミネーションも灯されているのだろうか。クリスチャンにとっては、クリスマスというのは、大変厳しい行事だというのに、日本人にとっての「それ」は、随分とお祭り騒ぎのイベントである。ディズニーランドで愛を語り合い、家ではスタジオジブリのリラックスBGMなどを聴いて、「性なる愛」を誓い合うのか。正直、豚の集団後尾のような現象は止めていただきたい。ある程度、コロナが、「それ」を止めてくれることを祈るばかりだ。

人生のどんな局面であれ、他と差をつけるためにやるべきことというのは、他が遊び呆けているときに、圧倒的な努力をすることで差がついていくものだというのが私の認識だ。しかし、どうやら人は、年老いていくたびに勢いがなくなり、家族などを持とうものなら、「挑戦」することや、仕事休みの土日の空いた時間に自己研鑽をしようという気持ちにもなれなくなってしまうようだ。「過労死」なんていうワードが、世界で語られるほどの日本の労働環境であれば、自分にとってNGなことであれ、組織の歯車になるにはOKなこととなってしまう。個を捨てて、大きい物に巻かれることが美徳となる世の中。この価値観が変わるのは、いつになるのだろう。

父から授かった貴重な成功哲学の言葉として、「若いうちの10年は、歳を取ってからの10年に値する」という言葉があったが、これから第4次産業革命に向かい、”5G”が、その加速度にターボをかければ、この先の文明の進歩の速度は、1年で10年のスピードと言われているのだから、父の考えと掛け合わせれば、単純計算で「1年で100年」に値すると言えるのだ。このような大きな変化の中、さらに、世界中が新型コロナウィルスという脅威にさらされている中、「集団交尾」もほどほどにということしか言えない。私は、相手がいないから、ただのヒガミにしかならないのだろうが。

何らかのピンチが訪れると、雲隠れする議員。ほとぼりが覚めると再度、笑顔で復帰する。無免許運転で人を轢いても、「今後は気をつけます」と7回目の罪を犯す議員。世界史を紐解けば、結局のところ、身分の高い人の時間はスピードがが早く過ぎ去り、綱渡りでピエロがおっこちそうなモーションをしつつも、結局体勢を立て直せる。そんな具合。すると、どの時代も階級社会としかならないのかとため息が出てしまう。

人生をより良くするためには、お金でも地位でも名誉でもないというのは、単なる綺麗事に過ぎないのだけれども、やはり、人として誇るべき存在が息づいているところと考えれば、今挙げた3つよりも大切なことがあるはず。ただ、やはり「お金」を差し引いた状態での物差しというのは、なかなか見つけがたい。なかなか家族で時間が取れなかった私の家庭で、唯一欲しかったものがあるとすれば、お金ではなく、家族で語り合う「時間」だった。これから迎える猛スピードに融合するために、自分の中での時間の感覚には、しっかりとアンテナを張り続けなければならないと考えている。

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