思考力

無意識の支え

昨日の夕方、強い眠気に襲われた。この眠気を利用して、このまま薬を飲んで寝てしまえば、ここ数日の睡眠負債を返済できるほどの長時間睡眠が期待できた。そこで、さっさと薬を飲み、やや寝付きの悪いながらも、夢の中へ入っていった。ただ、この夢の中が、実にリアルで、十代から二十代にかけて可愛がっていた犬が蘇り、とんでもなく嬉しい気分になる。そして、その子の散歩に行くことを母に伝えようとしたときに、母が既に他界していたことを思い出し、一気に現実に戻った。やはり、潜在意識の中で、犬も母も同じように生存しているようだ。本当にリアルな夢で、目が覚めたときには、涙が出ていた。

そこからさらに深い睡眠を得るのは難しいと分かり、部屋にあるだけの全てのチョコレートを食った。さらに、深夜の時間帯であったとはいえ、距離はあるが、マックでテイクアウトをして、巨大ハンバーガーを貪り食って寝た。これは睡眠薬に匹敵する効果があったようで、そのまま寝込んで、現在このブログを寝起きに書いている。天気も良く、風もない。日差し降り注ぐ爽やかな朝。といえそうなのだが、なにぶん夜中に腹に突っ込んだ食べ物が重かったので、肉体的には軽い気持ちにはなれない朝となっている。部屋に体重計がないので何ともいえないが、先月末の食糧危機と今月の過食を天秤にかけると、一体どちらに天秤が傾くのかはわからない。そうなのであれば、今は今として不明のまま過ごしていればいい。生きていることだけに感謝する気持ちさえ持っていれば、今は十分だ。

今、目を閉じて、記事のネタを考えてみたが、やはり過去のトラウマと現在まで引っ張っているの借金のことが、頭に浮かび上がるだけで、あまりよろしくない。世間の動きを見ようとしても、やはりネガティブなニュースばかりに気持ちが引っ張られてしまい、SNSで悪ふざけどころか、犯罪行為をしてガハハと大笑いをしている投稿が拡散されている動画を観てしまうばかり。今のこの段階で、そのような輩を擁護する発言をすれば、そのようなバカッターなる者に対して怒りを爆発している世間の人を刺激し、逆に恨みを買ってしまう状態になってしまう。だから、そのような意味においても現段階で、下らぬ承認欲求を満たすために愚かな行為をしたモノたちを擁護するのは、とても危険な行為となってしまう可能性が高い。

自分の起こした不祥事で、誰かを巻き添えにしたくはない。これは私を含め、ほとんどの人たちが願っていることだ。私が睡眠薬を甘く見て、自転車事故を起こしたこともあるが、やはり凶器となり得るモノは、絶対に生半可な気持ちで扱うべきではない。仮に、誰かに危害を与えなかったとしても、それが常習化して仕舞えば、大惨事を起こすことは時間の問題となる。そうなってしまうのであれば、前述のバカッターと変わらぬ愚か者のレッテルを貼られても、文句は言えない。

自分が行い一つ一つの行為には、責任が伴う。そこで責任を負えないようなのであれば、決して動いてはいけない。チャレンジと無謀は、似て非なるもの。自分がトライしようとしていることが、果たして自分の責任におけるキャパシティを超えていないかどうかを判断することは、とても大事である。特に、臨終を彷徨った自分には、それが痛いほど理解できる。今朝見た夢は、母と愛犬が守護霊様となって教えてくれたことだったに違いない。

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