思考力

元の絵の具

YouTube側からのメールが、毎月来るのだけれども、ここ1ヶ月でのチャンネル登録者数は「3人」増加していた。これが、停滞期脱出の指数関数的な伸びの前兆ならば良いのだが、なかなか人生も、YouTubeも、うまくことが進んでいくことはないだろうし、かつて、子供がなりたい職業であった「ユーチューバー」であれ、もはや一位どころか、何位まで下落したのか調べる気にもならない。とにかく、YouTubeの登録者数と、視聴回数を伸ばすというのは、至難の業なのである。

人は、緑豊かな自然に触れると、心が癒されたり、何かゴミゴミした都会よりも、田舎の方がリラックスできると言われている。だからと言って、そのイメージばかりが先行してしまい、実際に移住してみれば、村のしきたりに従えなければ、「村八分」の存在になってしまい、都会のドライな人間関係の方が心地良かったと感じるようになることもあるようだ。自分は、もともと東京23区の、とても栄えた場所で育っており、芸能人も多数在住している地区で過ごしていたのだが、今、こうやって千葉外房に来たところで、環境的な要因で何かが大きく変わったとも思えない。不便なところは不便だし、どこんコンビニにもシッカリとしたキレイなトイレがある。頻尿の私には、都会で、一番厄介なトイレ探しから解放されるメリットは大きい。

最近、東京にいては見つけられなかったであろう、自分の心の中にあるセンスに気づき、数日おきに「ガラス細工」の店へ足を運ぶようになった。一戸建ての平家にある個人経営の店ではなく、高級デパートの中にある店舗で、インテリア雑貨フロアにある店で作品を閲覧している。まさか、自分がガラス細工に興味を持つことになるとは、つゆとも思っていなかったし、実際、店に行って、一点一点アイテムを眺めていると、その透き通ったオブジェから放たれる光に、うっとりとすることができる。

昨日、展示された作品の中の中の絵画を観ていると、一人の女性が恐る恐る近づいてきて、絵の説明をしてくれた。この歳で、でかい黒縁メガネをかけた、丸坊主の中年男が、しかめっ面をして店内をウロウロしながら、一点一点凝視していたので、向こうとしてはかなりの勇気が要っただろう。ただ、説明一つ一つの中に、作品に対しての細かな技法などが入っていて、それでも、人間との会話が増えてなような方だったのだが、話を進めていくと、そのかたは、その店に展示されている絵画のほぼ全ての作者だったのだ。最近の「引き寄せの法則」が、引きつけたのだろうか、話を聴きながら、やはり言葉として相手に伝えることは苦手だけれども、作品一つ一つには、「こだわり」ではなく「ナチュラル」を吹き込んでいることが理解できた。

実は、このガラス細工店に通うようになったきっかけが、この人の作品だったので、実際に本物の作者に会えるとは思ってもみなかった。正直なところ、まだまだ芸術センスが磨かれてもいない自分が、偽のセンスを振りかざしてオブジェを購入するのは、失礼にも値するし、それといって、価格も高額なため購入の余裕もなかった。その作者の作品の中で、一番価格が低かった作品を購入したのだが、これはフィレンツェの街全体の大伯家を描いた絵画で、その家の一つの隅の隅っこで、天使が隠れているという絵画だった。言われなければ、天使の存在にも気づかなかったし、ただのノリで購入したのであれば、やはりその作者の作品の一番気づいてもらいたい肝の部分を知らないで部屋に飾ることとなっていたのだ。だから、実際の作家との対話というのが、とても大切だということが、よく理解できた。

今、アップルウォッチに連動させたスマホアプリの睡眠計測では、睡眠の質は良いものの、なかなか朝に目覚めることができていない判定結果が出ていた。朝の寒い時期に、布団から出るというのは、至難の技だ。それをしなくても、誰にも文句を言われない今の自分。誰かとの連絡を一切しないで、自分の中の心地よいタイミングで覚醒し、ルンバを作動させて、電動歯ブラシで歯磨きをして、コーヒーをすすりながら、マックブックの電源を入れる。すると、朝にやらなければならない一連の業務が、ほぼオートマチックに完了している。ニートだった頃、職にあぶれていた頃、うつ病だった頃、これらの行為が全くできなかった。できなかったことを機械が勝手に終わらせてくれて、書いた記事を、機械が勝手に音声にしてYouTubeにアップローそしてくれる。これを活かさないでいれば、自分は再度寝たきりで心の深淵で蹲っているだけの「カタマリ」だ。それでは、この記事を書き終えたら、玄関とトイレの掃除をして、観葉植物と、生花に水を与えて英気を養ってもらおう

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