思考力

iN the StaGe

何やら、共通テスト会場となった東京大学付近が騒がしい。東大の門の前で殺傷事件が起こり、その最寄り駅でも同じ犯人が火をつけたとか。なんでも、犯人は高校2年生で、理由は「勉強が上手くはかどらなかったから」だとか。自分が上手くいかなければ、見ず知らずの人を切りつけたり、駅構内に火をつけたりしても良いのだろうか。もちろん答えは「ノー」であることには変わりはないが、受験生を教えている自分としては、この問題をどう捉えたら良いのだろうか。なかなか見逃せない問題である。

「そんなにイヤならやらなければいい」とか「自分が決めた道だ」とかいう言葉は、あまり的をいる回答ではなかろう。では、なぜこのような悲惨な事件が起こったのかと考えれば、やはり「受験」というイヤな道から逃げられなかった自分が、根底にあることは間違いない。自分の観点が、およそ世間の視点と同じになってしまっていることは、斬新さがないということで自分の発想力のなさばかりが浮かび上がってしまいそうだ。ただ、今回の凶器に満ちた若者にとって、自分が大切にしていた「目標」が、いつの間にやら恐怖の方が強い「魔物」のような存在に変化してしまったことは確かなことであろう。

受験を通してたくましく成長した多くの者を、私はよく知っている。塾講師として職を得ている自分は、まさにそのうちの一人である。そんな受験を通り抜けるために努力をしている若者に常に伝えていることは、受験で終わってしまうような勉強をしてはいけないということだ。特に、語学である英語を教えている自分にとって、言葉の大切さを常に生徒たちに伝え、論理的思考力を大切にするように教え諭している。それこそが、受験を通して得られる最たるものだと思っているからだ。私の運営する思考力養成予備校の「共育理念」は、まさにそれである。

共通テストの裏テクニックなんていう動画が、軽く5万回以上再生されている。興味本位で閲覧している人がほとんどであってもらいたいが、中には、それを信じ切って「裏テク」で人生を台無しにしてしまう人も出てくるかもしれない。仮に合格してしまっても。大学生になれるかどうかという問題は、私が受験生だった頃とは比較にならぬほど価値が低い問題となったはず。「Fラン大」なんていう言葉も出てきているし、大学側も受験生を「お客様」扱いしているくらいだ。

ただ、この事件が起こった東大は違う。世界の東京大学だ。生半可な努力で受かるはずはない。このようにして、この若い犯人にとって、東大合格が、魔物のように観えてしまったのかもしれない。コロナ禍であり、殺傷事件まで起こった今回の受験シーズンではあるが、受験生諸君は、これに同様することなくベストを尽くしてもらいたいものだ。試練は乗り越えるために存在するのであり、もっと言えば、存在というよりも、次のステージへ向かう自分に出会うために手を差し伸べている大切な「舞台」なのだ。

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