思考力

余白の余波

久しぶりにスケボーに行かなかった。なんとなく気分が乗らなかったというのもあるし、今朝は、あまりにも膝の調子が悪く、起き上がることもできない状態だった。匍匐前進でトイレに行くような悪化の一途を辿っているのでから、今日くらいは休んでも問題なかろう。そもそも、それで生計を立てているわけでもないし、無理をしてスケボー どころか、歩くことさえままならなくなったら、まさに一大事だ。だから、今日やったことといえば、昨日購入した電動ドライバーの使い方を研究し、その箱をスーパーの回収ボックスに捨てに行くくらいだった。

ネジを回すという作業は、自分の手でできるのだけれども、板に穴を開けるというのは、素手では不可能だから、効率よくネジを締めて穴を開けられる電動式のモノが手に入ったので、それを使って、色々と移植手術をした。このようなDIY的なことというのは、自分はヘタクソで、今、自分の椅子の後ろには、移植に失敗してしまった長いスケボーが、フロント部分のタイヤがない状態で横たわっている。ただ、自分の中で一番苦戦しているボードの改造には成功し、これまたますます難しい板となってしまった。どの板であっても、もはやデフォルトの状態のものはなく、海外のサーフスケート の研究家のところへ、遊びにでも行ってみたいものだ。

ビーズクッションと、チューナーレステレビを手に入れた。チューナーレスとは、いわゆるインターネットを介した映像しか見られないテレビで、自分にとっての欠かせないシロモノである「YouTube」を、クッションの上に座りながら鑑賞するという贅沢を味わっている。キッチンの余計なものがなくなって、冷蔵庫の中の食材も消費したいと思い、たくさんの肉野菜炒めを作った。やはり、一人暮らしで食べる分には、量が多過ぎる。それでも、やはり自炊というのは経済的に有利であり、三日分の食事を作れる材料が、1,900円でまかなえた。こうやって、出費をできるだけ抑えつつ、このYouTubeチャンネルやブログからの収益が発生し、仕組み構築型の仕事で生活できたら、とても快適だ。

最近、投資の動画を見るよりも、断捨離や掃除の動画、または掃除をすることで開運する風水に関する動画を見ることが多い。自分の育った実家は、とにかくモノが多く、床一面にゴミが散乱するような家だった。かつては、ゴミ屋敷を掃除するというビジネスがなかったので、小学生ながら自力で掃除をしたのだが、ひどい喘息体質であった自分は、呼吸困難になって、救急車で搬送されるという事態になってしまった。それなのに、すぐにお部屋というか、汚家(おうち)になってしまっていたのだから、やはり特に母親が捨てられない体質だったので、もう自宅に清潔さを求めることをしなくなったことを覚えている。

少ない物の住所を把握しておけば、その住所にある物を最大限に利用しようという気持ちになる。それが「消耗品」である時に、少し惜しい気持ちになってしまうのだが、そんな気持ちを捨てて、このウェットティッシュと、床フローリング材を使って、どんどん掃除をしていこうという気持ちを優先するようになった。確かに、そのような消耗品がなくなっていくと、また買い直さなければならないという不便が発生してしまうし、買い溜めをしたのであれば、そのアイテムを使うことなく物置の肥やしになってしまう。だから、掃除道具は、惜しみなく使い、それが切れたら、遠慮なく買うというサイクルを繰り返していくべきなのだ。

加湿器からミストが出ている。空気清浄機から、空気が洗浄されているときのランプが出ている。エアコンからは温風が出て、間接照明もつけている。こうやって、自室を綺麗に保ち、その中に快適性を感じるのであれば、それ以上、他所に見せびらかす必要はない。『隣の億万長者』なんていうタイトルの本もあったけれども、内面的なゆとりや清潔感さえあれば、ブランドもので全身を着飾る必要など無くなっていく。そうやって、自分の中の物の価値の基準を明確にしていくことこそが大切なのだ。

-思考力