思考力

線対照

今朝は、あまりいい目覚めではなかった。特に昨日の朝が、最高の目覚めだったのとは対照的だったので、気分が落ち込むのも当然と言ったところか。やはり、生半可な気持ちで、お金を手にしてしまうと、金の管理ができない自分は、不可解な行動をとってしまう。昨晩も、どうしても寝る前にピザを食いたくなり、デリバリーをして寝込んでしまった。そんな満腹の状態で見る夢は、あまり良いモノではなかったし、いつもより早い時間に目が覚めてしまった。

歯磨きをしながら外へ出ると、かろうじて眼に見えるかのような粉雪が舞っていた。今朝は冷えている。ただ、この2月をこえて、3月になれば、比較的暖かい春を迎えられるそうだ。その時までには、生活を安定させておかねばならない。私のようなヤドカリ生活であれ、暖かい春を迎えられれば、きっと少しは晴れた気持ちにもなろう。さすがに殻から完全に出ることはできなくとも、自分の作った檻の中から自分を解放するには、やはりそれなりの苦痛が伴いつつも、成長した自分を作り上げられるのだと信じたい。

昨日は、カラオケで歌った。かなり久しぶりだ。いつも、パチンコ屋へ行くかカラオケに行くかで迷い、結局賭博場を選んでいた私にとって、カラオケ屋を選べた点においては、しっかりと自己管理ができるようになったのかもしれない。ストレス発散はもちろん、ここのところ腹の中に溜め込んでいた宿便も放出できた。やはり、腹式呼吸というのは大切であり、歌を歌うという行為は、鬱屈とした気持ちに蓋をもするのだと思う。リモコンの調子が悪い部屋に当たってしまい、何度もスタッフを呼んで調整してもらいつつも、そんなことで腹を立てても面白くない。部屋を変えるという提案をされたときには、もう帰ろうと思った。

最近の記事は、やはり雑記ブログとなっている。取り立てて、どこかの会社の広告の案件を受けて生計を立てているわけではないので、自分としては問題ないと思っている。さらに、朝一番に自分の頭の中を文字として可視化するということは、脳みそにとっては刺激的なこととも言える。読んでくれている読者の方にとっては、つまらないと思うけど、ここまで読んでくれているのであれば、何かしら私の文章からヒントを得てくれていると期待している。勝手な片想いとでも言えるのかもしれないが。

「自分は、ここにいます。」このような承認欲求は、誰しもが多かれ少なかれ持っているはずだ。自分の存在というものを確たるものとして表現し、誰かから称賛されたり、同感してもらえたりすることは、とても嬉しい。ただ、今、世間を揺るがしているような、SNSの投稿で、悪ふざけを遙かに超えた領域で息巻いている輩たちは、本当にタチが悪い。自分としても考えるべきこともあり、もし、自分が彼らを擁護する立場に立たされたとしたら、どうやって彼らを庇うことができるのかを何度もシミュレーションしてみた。しかしながら、どのような角度から考えあぐねても、「救いようがない」という結論に辿り着いてしまう。こう考えると、弁護士という職業も、とても難しい職業であることが、容易にわかる。

今日は、床屋に行こうか。もう、2ヶ月くらい髪を切っていない。床屋の主人には、あけましておめでとうございます、ということになろう。ここで仕切り直しをして、再度、自分の生きる道を切り開いていく。年が明ける前から、人間と面と向かって雑談をした記憶がない。千葉に移住して、一番、私の生活を理解してくれている床屋の主人のところへ行って、世間話でもしてこよう。気持ちが、グッと軽くなるに違いない。やはり、今日は気持ちがいい日なのだ。

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