思考力

朝の新しい動き

スッと目が覚めた。水を口にして、そのまま二度寝しようとも思ったのだが、なぜか起きた時に気持ち良さが体から滲み出てきて、すぐに立ち上がってみた。朝の8時。自分の中では、いつも完全に眠っている時間。それゆえ、体もビックリしているようで、真っ直ぐに歩けず、酔っ払いがヨタヨタ歩いているような状態になってしまった。窓は開けず、パンをかじりながらビーズクッションの上にに座って、YouTubeを観る。このまま眠気がくれば、再度寝落ちできそうだったのだが、観ていた動画が、「断捨離/掃除/風水」関連の動画だったので、そのまま窓と玄関を全開にして、ルンバを回している。ブログを書くことも迷ったのだが、もしかしたら、二度寝の快感を味わえるかも知れないので、起き抜けのコーヒーは飲まないで、カタカタとMacのキーボードを弾いている。

昨日は、ビーズクッションの上で、YouTubeを閲覧しつつ、本当に眠気が来るまでベッドに横にならないでいた。あくまでもベッドは寝るためだけの場所として脳にインプットさせ、人工的なシーリングライトからの光を、決して浴びないようにした。そして、雑貨屋で買った香水のスプレーを寝具にかけて、そのまま横になった。それがもしかしたら、功をそうしたのかもしれない。もし、これが勝因なのであれば、今日もこの方法で眠りについてみようと思う。

今、書く手を止めてしまった。特段書くことがなくなってしまい、思考がいっときだけ止まったら、過去の嫌な記憶が蘇ってきてしまった。こう考えてみると、睡眠が整ってさえいれば、過去のフラッシュバックがいきなり自分を襲うこともないし、逆に調子の良い時であっても、フッと考えに空白状態ができて仕舞えば、自分の心の中に埋もれていたマイナスの要素が浮き彫りになってしまうこともあるようだ。睡眠と精神状態の関係というのは、とても強くリンクしていて、その状態を良好な状態を保ちたいのであれば、日々のスケジュールの中で、ポッカリと開いてしまったような空虚な時間を作らないことが大切なのd¥かもしれない。

朝のリラックス音楽をかけて、まるでカフェで作業しているかのような耳障りの良い音。空気が全て入れ替わっているのがわかるくらいの冷たくてピリリとした新鮮な朝の空気。観葉植物も力強く存在感を増し、綺麗な部屋を作り出すべく、ルンバが部屋を縦横無尽に駆け巡っている。冷蔵庫には、昨日作った肉野菜炒めとシチュー、それに白米が三合も入っている。これ以上綺麗な朝を考えると、何があるのだろうか。別途雇用した召使さんが、家事全般を手伝ってくれるとでもいうのか。そもそもすでに洗濯機で洗濯物は全て洗いをかけている。この洗濯が終わったら、あとは自由自在に出かけられる。なんとも贅沢な暮らしを満喫している。海外に行かなくたって、この千葉という土地のゆったりとした環境の中で、のびのびとした生活ができていれば、今はそれで満足だ。

自分には自分の人生があり、それを断ちんにとやかく言われる筋合いは全くない。そもそもこちらの今の生活に文句を言う人がいるのならば、その人は完全無欠の人生を送っているのだと自負できるのだろうか。人を非難したくなる時というのは、自分に自信がないときだ。そのように考えれば、こちらの生活に口出しをする人間の戯言は、一切耳に入れることなく、自分が「気持ちいい」よ感じられる生き方を追求していった方が良い。それを繰り返していくことで、自分の中での本当の「ゆとり」ができてくるのだと思う。

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