思考力

小さい旧車をモテ遊ぶ

人は外見で判断してはいけないということは、よく道徳的に諭される。たとえ、イカツイ雰囲気で「オラオラモード」全開であったとしても、少し話をしてみたり、付き合いが長くなって来ると、意外と優しい人であったケースは多い。だから、第一印象というのはコミュニケーションを取る上で、とても大切であり、採用試験の面接練習ではニコニコ笑顔のトレーニングが基本。その後の会社であっても、特に営業職であるなら満面の笑顔と、滑らかなトークは必須である。

私はコミュ障のカタマリで、仲間を増やしたいと思いつつ、話かけてくる人を必死で待ち、最初の挨拶ではムスッとするわけではないのだが、変に緊張していて語気に角が立ってしまうこともしばしば。友人に誘われて行った「街コン」では、一気に会場のコーナーに追い込まれて、呆然と立ち尽くす他はなくなる。意を決して話しかけようとしても、酔いが回って麻酔がかかった後半戦に賭ける。なんとか始まったトークであっても、挙動の全てを相手に委ねるしかないので、長い沈黙の時間がボディーブローのように続けば、相手は試合放棄して別の場所へと消えていく。参加費用と交通費の引き換えになる軽食とアルコールは、家路に着く時のセンチメンタルなメンタリティーを埋めることなく、翌日の消化吸収されたものとなって、トイレへ排出されるだけだ。そう考えると、とても虚しい。

私が高校生のあたりでは、ビンテージブームが全盛期で、ボロボロのデニムが軽く十万を超え、高値のスニーカーなどを履いていようものなら、それを狩られ、御礼としてパンチやキックを受け取る時代だった。それでも「オラオラオーラ」を放出する為に、さまざまな古着屋を、足を棒にしてグルグル回る。古着は一点ものであることがほとんどであり、海外から買い付けられた年代物の衣類を手に入れることで、世界の希少価値と芸術的代物を身に付けることになる。他とかぶることなく、できるだけ古いレア物をフル装備することが、当時のステータスだった。

今は違う。コスパ重視と機能性が最重要視され、チリひとつ落ちていない清潔な店内で、接客態度も十分に研修を受けた明るいスタッフも、必要以上に話しかけてこない。今では見向きもされないようなバカ高いボロ切れを売る為に、眉一つ動かさない表情で迫って来る店員。さのご、商品の説明を聞いたり試着したら、どんな正当な理由で購入意思を取り消しても、強制的に買い物カート行き確定となる薄暗い店内の様子とは、全くの逆である。だから、街中で同じような服を見かけることも多く、思いっきりかぶっている人もいる。ただの色違いを買っているならば、その超量販店の宗教的商品戦略にガッチリと魅了された信者だ。

とはいえ、最近の服のインナーは急速に進化をしており、身につけた瞬間にアルミホイルに包まれたような熱に包まれ、抜群の保温性。魔法瓶ならぬ魔法毛布を身につけて歩いているようだ。暖房費節約と経費削減の為、ここのとこの部屋着は、かつて批判していたブランドに全身包まれている。近所の買い物に行く程度なら、過去の私に批判どころか、完全否定されることとなる。だから、最近の私は、外見は昔の理想的なファッションでありつつ、中身は街ゆく多くの人と同じ。身包み剥がされなければ判らないのだから、全く問題なく20年前の私も黙っていてくれる。一度だけ、超量販店で買った、歴史的メガヒット映画『君の名は。』『天気の子』のTシャツを購入し、ウケ狙いで授業中に着て授業するというクビ確定の行為をしたのだが、もちろんその後は「部屋の隅っこに今転がってる」というRADWIMPSの歌詞そのものの状態。次の出番はいつになるのか。壁にディスプレーして風水的に良くなっても、敷金バックに影響しそうなので、転がったままで居てもらおう。

なんだかんだ言って、私は、見栄っ張りの考えが不変の状態であるから、車で目立ちたいというにも夢も膨らむ。やはり、年代物の旧車の美しさには、ヨダレが出るほど。街中で見かけると眼が釘付け。車内まで気になって仕方なくなるのだから、そのオーナーの見栄にまんまと魅了されている。ただ、私を含む多くの旧車愛好家ばかりでなく、海外のマニアの間でも日本の旧車に対しての興味関心は高く、「ハコスカ」「ケンメリ 」には、2000万以上の値がつく。もちろん、状態が良ければ、日本だって1000万くらいの値段。ただ、洋服と決定的に違うことは、車は命を預けるもの。当然、旧車の安全性能は、現在のソレとは程遠く、故障した際の部品供給だっておぼつかない。私もかつて旧車を所有していたが、いい加減な中古車屋で購入したということもあり、半月程度で廃車となった。2週間で50万を垂れ流したので、旧車に対するトラウマは強い。

今、そんな高値がつく旧車を「レプリカ」で購入することが可能だ。外観は旧車のままだが、中身は現在の車。クルクルと手動で窓を開けることなく、パワーウィンドであり、エアコンだってしっかり効く。ただ、やはり高い。1000万ほど。よほどのマニアでない限り買う勇気は出ない。でも、やはり私にとっては心を惹かれる骨董品であり、先日も半世紀前の「ボルボ」が、オリジナルの状態でディーラーで販売されていることを知り、その画像を観ながら心奪われ、睡眠時間を大幅に削る羽目となった。アフターケアがあるディーラーのボルボなら、ハンドルくるくるでも良い!でも、今乗っている車の余命があと半年程度と宣告され、60万程度の軽自動車を探している私が、600万の旧車のボルボに出費をするということは道理にかなっていない。私が完全“FIRE”したら買おう。そうなると、天変地異が起こる可能性と同じ確率での入手となる。それまで売れないでいることを望む。

話はそれるが、最近の私のスケボー 熱はアツイ。先日は、時計が砕け散る程の衝撃で転けた。でも、その翌日には身体がムズムズして滑走している有様。このブログを書く前にも、一走りしてきた。私のスケボー は、飛んだり跳ねたり回したりのスケボーではなく、それこそ見た目は、旧車のような70年代・80年代の形状の板の足回りをしているなだが、足周りは信じられないようなカスタムが施されている。先日もホームセンターにて、木材とゴムと車用のクッションを切り貼りして、大きな改造をした。スケボー に車検はないので問題ない。当時と同じような形をしていても、中身は現代の材料で仕上がっている。

洋服や車と同じで、目立ちたいなら、同種であっても一瞬で周囲と違うモノを使い、何やら一味違う動きをしなければならない。なぜなら、他人と被る中で目立つ存在になる為には、多くの強豪の中で競合して、ダントツぶっち切りのスキルが必要。もし、そんな逸材であるなら、周囲からのリスペクトは強くな理、目立つこと当然だ。普通のスケボー の中で、サーフィンの練習用のスケボーが開発され市販された当初は、今まで固定された概念を根底から覆す、度肝を抜く代物だった。前の固定された金属部分が可動し、自転車のハンドルを切るように動くので、後ろ足で地面を蹴ることなく、前足をグリグリ動かすと前進するのだ。私は、その虜になり、20年以上続けた結果、今では毎月一回、膝にヒアルロン酸の注射を打つハメになった。

このサーフィン練習用のスケボーは、飛んだり跳ねたりするスケーターが乗ると不安定で、周囲で観ている一般人は当然興味を持ち、実際に乗らせてみると、こんなグラングランなモノに乗れるバランス感覚を高く称賛される。でも、このスケボーは、飛んだりするスケボーよりも圧倒的に簡単で、少しのトレーニングで乗れるようになる。最近では、それに気づいた人が多くなり、ある程度横乗りをしている人なら誰でも乗れるスケボーとして、現在のスタンダードになり、各社同じような商品が出回ることとなった。

子供用のスケボーとしても使われる小さなスケボー を知っている人も多いと思う。あれは「クルーザー」と呼ばれ、街中を気持ちよく滑走することが主な目的のスケボーだ。これは、持ち運びがラクで、お洒落な感じ何する。女の子でも乗っていれば可愛さ2割増しのスケボーで、価格もお手頃。これを、さりげなくカッコよく乗れれば、モテること受合い。ただ、コレを移動手段やオモチャのようにのみ捉えている人が多い。そんな中、これをクールに乗るためのハウトゥー動画が、最近出始めている。今現在、けっこうなブルーオーシャンな領域で、大した動画ではなくても再生回数が高い。つまり、上手ければ目立つし、何より異性とのコミュニケーションには十分マッチする。私は今、ここを切り口にすれば、何か大きなビジネスチャンスにつながる予感がしている。目立ちたがり屋の自分が、かなり本気モードになっている。日夜、研究と練習を怠らない。

根が目立ちたがり屋で注目を得たい私が、ビンテージブームから年代物のアイテムに興味を持った。そんな自分が、ブルーオーシャンを見つけたのかもしれない。このサイト運営の効率が良くなったら、本気で「クルーザー専門サイト」を別枠で立ち上げようと思っている。

 

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