思考力

パソコン初心者に取り憑いた者

午後6時に就寝し、午後11時過ぎに目が醒めた。ほぼ夕方から日付がピッタリ替わるときだった。ここのところ、多くの眠剤や精神薬を服用しているが、自分の精神のバロメーターである睡眠の安定は、最悪としか言いようがない。ここまでくると、やはり完全に病気であり、早いところ入院の手続きをしなければ、身も心もズタズタになってしまうであろう。

昨晩、このパソコンのパスワードさえ忘れてしまうというアクシデント。今まで、何百回電源を入れたかわからぬが、記憶から完全に抜け落ちてしまっているようで、完全にフリーズして動かなくなってしまったパソコンを相手にしているかの如く、自分の病状が日増しにひどくなっていくことが分かる。事実、この記事も「テイク3」であり、テイク2として午前1時頃に書き直したものを、今、3回目として書き直している。そんなフラフラの状態で、パソコンの操作ができなかったが、テイク3にして、やっとクリアな状態でキーボードを弾けることに感謝したい。

現在、朝の6時前。平日にもかかわらず、近所は静かな雰囲気。空気もピリリと冷えている。ただ、気象情報によれば、これから日中に震えるような寒さがくることはなく、一気に春めいてくるようだ。「春眠暁を覚えず」ともいうが、睡眠に障害があり、双極性障害という睡眠に原因が直結する病を引きずっていかなければならない自分にとって、深くて多少長い睡眠を春眠に迎えられるというのは、とても感謝したいことだ。とにかく、これ以上、入院という選択肢から遠ざかることにしたい。去年の頭蓋骨骨折から、まだ半年しか経っていないからということもある。

寝起きの口の中の不快感を取り除くために歯磨きを済ませ、煎れたてのコーヒーをすする。そして、ブログを書いて客観的に文字として自分の考えをまとめる。こんなささやかな生活の中に、幸せを感じられる自分が確かに存在している。朝日が昇ってきた。鳥が鳴き始めている。春が到来してくれば、陽が長くなることは確かなことであり、それに併せて自分の体調が善くなることを祈りたい。

「祈る」という言葉には、感謝をするという意味が含まれている。一時期、クリスチャンの家庭教師をさせていただいているときに、授業以外でも教会に行き、日曜の礼拝に参加させていただける機会が何度かあった。その中でも、自分の体調が上手く合わせられず、無責任にも家庭教師を辞めてしまうような形になったのだが、その時の教会の方々も、私の快復を「お祈り」してくれていた。

最近では、自分の中の自分という存在に苦しめられていた。これは、確かなこと。ただ、自分の中に居る自分が、たとえ猛獣であったとしても、それが暴走しないように祈り、日の光を浴びたときに、穏やかな気持ちになれるように祈りたい。そこに本当の平和があるのだとも言えるのではないだろうか。

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