思考力

中立な時代

私は自分のことに対して、「おっさんだから」と言うことは、ほとんどない。なんか、自分がひとまわり大人ぶっているような気がして、そんなことを言うのが、何やら気恥ずかしいと思ってしまうのだ。ただ、さすがに自分の「スケート過多」によって、昨日から今日にかけて、膝が曲がらなくなってしまい、例の大混雑する整形外科へ行った。保険の関係で、1週間は間を開けなければならないという、変な縛りのあるヒアルロン酸注射なのだが、他院でやられた膝の水抜きは、もう2度とごめんだったので、足繁く通う事に決めた。

とはいえ、今日は一気に気温が下がったこともあり、待合室で順番待ちをしていたところで、ドアが開くたびに冷蔵庫の送風のような冷たい風が入ってくる。そんな状態で、三時間近くリハビリと診察が行われるのだから、やはり通うとなると、かなり億劫な気持ちにもなる。とりあえず、鎮痛剤のような薬をもらったのだけれども、そもそもの軟骨が擦り減っているのを根治させるわけでもないのだから、気休め程度にしかならないのかもしれない。このままひどくなっていくのであれば、他院を紹介すると言うことで、もはやどこの病院でも、まるで「厄介者」のような扱いを受けてしまう。

今日は、本当に冷え込んだ。早朝に目が覚めて、これは引きこもり確定の精神状態になる気配を感じたのだが、体を起こすと同時に、膝の関節の痛みと違和感があって、半ば強制的に、整形外科へ行った。もし、膝の異常がなければ、絶対に部屋から一歩も出ることはなかったはずだ。さすがに、どんな年齢であっても、こんな膝の酷使の仕方をしていれば、関節が悲鳴を上げるのも無理はない。これから、自分の生きがいのスケボーと、いかにして付き合っていくのかは、大きな課題となるのかもしれない。

YouTubeでは、とにかく「耳学」で、知識を大量に仕入れている。特に、今年最大の目玉ともいえる「新ニーサ」に関しては、いくらでも情報を入れておきたいと思っている。これ以上、この記事で書き綴っていたら、もう膨大な専門用語で埋め尽くされてしまうような知識が手に入っているので、あとは、自分の知識を、最新で正確なものとしてストックしていくことが、とても大切なのだと思っている。

取り立てて書くこともない今日。記事を書きながら、キーボードを弾く指が、久しぶりに止まってしまった。いつも、車に乗りながら考えていることや、海に着いたときに心に思い描いたことを、改めてブログに書いているので、今日のように、スケボーという生きがいをはぎ取られてしまった状態では、何ら思考が止まってしまっているようだ。それだけ、今の自分にとって、四輪の板の上で、アスファルトの上を滑走するとこは、掛け替えのないものとなっているのだと実感する。

自分が、十代であれば、それが微笑ましいのかもしれないが、この年齢では、奇特な人としか映らないのであろう。でも、それを自分が認識しつつも、年齢という枠組みを超えたところで、生きがいを感じられるのであれば、やはり自分の精神状態は、若く生き生きとした状態なのだと思う。それで十分。それ以上を望むと、バチが当たってしまうのかもしれない。人生一度きり。それを、他人からの評価や物差しで測っていたのであれば、自分の価値基準が消えてしまう。だから、自分は、若くも老いてもいない、限りなく「ニュートラル」な人物なのだと思っている。

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