思考力

獲り・出す

 

20代前半の頃だっただろうか。不眠症と自律神経を整えるために、わざわざ「ヒーリングミュージック」のCDを購入して、毎晩、聞き流していた。CDに収録されている曲であるから、アレンジされないわけで、すぐに飽きてしまったような記憶もある。いや、そもそも期待しないで購入していたのかもしれないが、とにかく財布からお金を出して購入したことは確かなことだ。今は、どうだ。YouTubeを開けば、オススメ関連動画には、ズラリとヒーリング系ミュージックが並んでいて、私の心がいかに癒しを求めているのかが分かる。

ヒップホップミックスストレスリラックスミュージックポジティブエナジー。果たして、これがヒーリングミュージックなのか、最近流行の「チルアウト」なるモノなのかは知らぬが、わざわざクリックしていても時間がなくなってしまう。最近では、私と同じように、不眠に苦しむ人たちが多いようで、睡眠音楽のタイトルも過激になっている。「1秒」「神業的」「音波」。様々なタイトルが並んでいると、むしろ胡散臭くなって、今、東京SHIBUYAからヘトヘトになって帰宅した私は、サーキュレーターと、生ゴミに集まっていたハエの飛ぶ音を聞きながら、マックのキーボードを叩いている。

これまた昔は、サーフィン雑誌を読み漁り、自分のサーフィンがどうやれば改善されるのかを研究したが、今の私が信じている理論と比較すると、およそ見当違いどころか、真逆のことを、堂々と記事にしてあった。それを鵜呑みにせざるを得なかったのが、読者の悲しい立ち位置だったのだろう。波に乗る本数が増え、成功率が上がる自宅トレーニングなどを、動画でわかりやすく教えてくれるなど、昔では考えられなかった。それこそ、VHSのテープの「サーフヨガ」という、ヨガとサーフィンを合体させたビデオテープをもとに、トレーニングをしていた。無理なポーズをとって、一時停止をしようにも、とんでもないポーズの時に、リモコンを取りに行くなど、それこそ神業的妙技である。

サーフィンを始めるキッカケなど、どんなに隠したって、「女の子にモテたいから」に決まっているわけで、女子は女子で、そんなサーファーの彼氏をゲットするのに必死だったのだろう。月に一度発売される、サーフィンとファッションが合体した雑誌が飛ぶように売れ、その発売日の後には、すぐに商品は品切れとなっている。そして、私が若かりし頃は、「第二次サーフィンブーム」と言われており、ビンテージの古着のジーパンも飛ぶように売れていた。だから、その雑誌の洋服に似た路線の古着を足を棒にして探し回る。当時、ネットなどなかったから、とにかく古着屋を回る。おっかない店も数多くあり、試着したらほとんど購入確定の店も多かった。

今や、古着屋でさえも、自社サイトを持っていなければ生き残ることはできず、そもそも、ボロ雑巾のような服に興味を持つ若者もいなくなった。得てして言えば、私と同年代の人たちが、昔を懐かしく思って、メルカリに時間という資産を奪われるくらいであろう。そんな少年の頃の思い出を大切にしている中年男性たちも、「老後2000万問題」という背筋が凍るような言葉に震え、誰でも一億円が貯まる方法の本の要約動画をクリックしているはず。独身の私でさえ、積立ニーサやiDeCoに関しての知識を蓄え、とりあえず少額とはいえ、積立はおこなっている。今日は、SHIBUYAの主治医に、謎の右足親指の痺れを相談し、血液検査をしてもらったのだが、「血管をピカピカにする食べ物3点」などという動画があれば、それをクリックしたくなるのは当然だ。

もはや、自分がログインしているYouTubeオススメ動画を視れば、自分の興味関心がどこにあるのかが分かるし、ログインしないでYouTubeに入り、急上昇動画を確認すれば、なくても良いような下らぬエンタメ動画ばかりがほとんどだ。ただ、それらがトップに表示されているということは、それらを求めているヒトたちが多数いるわけで、意識の高さと低さが、「オススメ動画」を見れば1発で見抜ける時代でもある。ルール無用で狂ったバーベキューをして炎上させている動画が、今の「中二病」なのであれば、非常に質が低い。

ただ、昔も同じようなことをしていた輩たちの動きが、今では世間の目に瞬く間に拡散されるという違いがある。ふざけていましたでは済まされないペナルティーが請求されている事例が後を絶たない。自身の行動に責任を持ってもらいたいモノだ。ただ、そのヤンチャっぷりを披露して、仲間たちから一目置かれたいという気持ちは分からなくもない。ただ、気づくとエスカレートしていて、いざ大問題となったときに、取り返しがつかなくなるのだ。これは、今も昔も同じではありつつ、映像や音声で残されてしまい、一度でもアップロードされてしまったら、もう2度と消せない汚点となって、自分の人生の足かせとならざるを得ないのだ。

コロナ禍で、外出制限がかかり、動画に対しての考え方にも、言及しておかねばなるまい。テレビ全盛期の時代は、まさに、主導権はテレビ局が持っており、視聴者は、そのメディアの紹介する広告に流されるばかり。しかしながら、YouTubeでは、炎上さえしなければ、支配する人がいないぶん、のびのびと自分の考えをアップロードできる。しかも、無料でアップした自分の動画等が、多くの人たちに接触することとなる。しかも、スマホ一台あれば、必要な機材などなくてもできる。テレビで、生放送があって、それに対する反応を受けるためには、やはりタイムラグが生じてしまうが、YouTubeなどのライブ配信であれば、リアルタイムのチャット形式で、視聴者の反応を伺うことができる。

SNSで叩かれることを恐れるテレビ側は、バラエティがつまらなくなるのは、ある種必然で、一方的に投げつけられる情報に、すでに価値は無くなってきている。能動的に、自分から情報を求める時代だ。こうなれば、テレビは言うまでもなく錐体の一途をたどる。かれこれ10年くらいの期間になるのか、テレビなし生活をしている私にとって、電器屋で流れている番組など、10秒見るのも苦痛だ。そう感じているのは、実際には、私だけではないようで、ゴールデンタイムの視聴率を、ギリギリで維持できているのは、日テレとフジ系列のみだそうだ。

では、冒頭の自然音からわかることは何か。なんでも日替わりで、波の音でも、小鳥の声でも、河のせせらぎでも何でも聴くことができる。そして、目を閉じれば、「没入体験」として、自分がその中へ入り込むことだってできてしまう。実は、この事実こそが、今後の放送の中で、決定的な違いとなる。テレビでのリアリティーを、YouTubeばどの放送プラットホームが、臨場感を手軽に配信できるようになるのであれば、そこにはテレビではない、全く異質の配信媒体のアイテムが登場するはずだ。「VRゴーグル」などは、まさにその筆頭であろう。

今日、薬局の待合室で薬待ちをしていた私を含めた6人のやっていたことは、次の通り。スマホ2人。紙の本1人。電子書籍1人。問診票1人。そして、人間観察をしてメモを取っていた私の6人だった。テレビがダメなら、本田ってダメではないかと思われるが、実は、仕事ができる人ほど本を読んでいて、その本から得られる有益な情報が、たったの一行であっても、それを探し抜くと言う。やはり、できる人というのは、そこらへんの意識が違うと思う。スマホをなでなでするのも悪くはないが、自分の考えを表に発信すること。また、自分から獲りに行く情報を、筆者の魂が込められた一冊の本に賭けるというのも素晴らしい。

これからの時代、絶対に受け身でいてはダメだ。自分から情報をとりに行く。そして、自分から情報を発信できる人材でなければ、日々の生活を平穏に生きていく人材にさえなれないのだ。

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