思考力

Rule

英語では、比較の対象となる[A]と[B]は、意味上・文法上同類でなければならないという厳密なルールがある。英語という言語は、極めて論理的かつシンプルでなければならない。なぜなら、世界の共通言語として使われるためには、どのような国であっても、等しく同じルールが用いられなければ成立しないのだから。サッカーでは、キーパー以外は手を使ってボールを扱うことはできない。このルールを変えてしまっては、ゲームそのものが、バスケやラグビーになってしまい、最悪の場合、ルール間の小競り合いで「バトル」に発展してしまう結果となる。格闘技であっても、ボクシングのリングで相手と撃ち合おうとして意気込んでいたら、対戦相手が廻しを巻いて髪を結っていたら、怒るより笑うより、ある意味で恐怖に陥って逃げ出したくなるだろう。その概念は、英語という世界共通言語のルールでも同じであり、先進国同士の英文法と発展途上の国の英文法に相違が出てしまうのであれば、意思疎通が成り立たず、救援物資を与えたくても、相手の国は敵国からの密輸品だと勘違いをして、黒船に発砲した某国のように自国に閉ざされた文化に止まってしまう。

40年以上住み続けていた東京の実家から離れ、千葉へと引っ越した。最初の10日間は、異常なほど長く感じた。思い出せば、これほど時間が長く感じたのは、高校時代の3年間だった。坊さんが設立した高校に通っていたので、修学旅行が「寺」に参拝して「寺」に宿泊するというレアな高校。もちろん遠足気分など味わえず、気を抜けば容赦なく坊さんの怒声が鼓膜に響く。そもそも、高校の正門に入るときに、学校のエンブレムに向かって深くお辞儀をしなければ入れない高校など、私の出身高校の他に、あるのだろうか。下校時も、振り返ってエンブレムに深くお辞儀をしなければならない、年齢的には刑務所とは言えないが、少年院と言っていいのかもしれない。第一志望で胸躍らせて入った高校とはいえ、残酷な3年間を過ごした。

これから同じ市内の新たな住居へと引っ越すにあたり、一気に生活スピードが上がり、気づけば今のマンションの退去日も2日後に迫った。人は、年齢が上がれば上がるほど人生の移り変わりが早く感じるようになるというのは、実証されている。しかしながら、人生のスピードを緩められる術もある。常に斬新なことにチャレンジするということ。変わり続ける気持ちを忘れないこと。新たなフィールドに身をおけば、今まで惰性で動いていた生活にストップがかかり、慎重に動かなければ転んでしまう。転ばないように気をつけられる経験を、人生の年輪を重ねているものなら、大きく失敗することなく、常に新鮮な人生を切り拓き、新しい自分探しを悠々と、じっくりと楽しめるようになる。

比較の対象を過去と現在で視たときに、単なる惰性で終わっていないか、現在から未来へ視点を向け、到着点にいる自分がアップデートされているか。時間軸という一本の線を否定することはできずとも、その時間の線の方向・起伏を変える努力は誰だってできる。そのような無邪気な子供のような探究心を失った者は、人を妬み、羨み、やがて自分の人生と他人の人生を比較して堕落していく。もちろん、そのような輩と自分を比較する必要などない。比較の対象[A]と[B]は自分で厳密に決める権利がある。日本人の曖昧な考え方や、薄っぺらい哀れみの気持ちなどは一切切り捨て、自分の人生をプラスの方向へと切り拓くことに専念するべきだ。Rule

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