思考力

ホトトギスの背中

ホーホケキョ。このウグイスの歌声が、良い子守唄となり、なかなか目が覚めなかった。そもそも、ブログを書くにしても「ホーホケキョ」という文字が打ち込めないという、半分以上、夢の中にいるような状態であれば、Macの電源を落として、腹ごしらえにも行きたくなる。シャレではないが、朝はマクドナルドのセットがどうしても食べたくなり、注文を終え、いざ食べ始めると、口の横からポロポロとハンバーガーが、落下する始末。いやはや、眠りながらの作業がこんなにも辛いのであるから、私が勤めていたブラック企業では、一日中、どんな心身的な苦しみを得ていたのだろうかと疑問に思ってしまう。

釣りに行こうにも、レンタカー屋では、生物の匂いがするような荷物は入れないでくださいということで、魚が万が一こぼれてしまった時には、その車のシートの張り替えを何十万と請求される訳だから、そんな危険な選択肢は取らずにいた。最近凝っている千葉駅での散策も、なかなか面白くなってきており、スマホアプリの手を借りつつも、古着屋や喫茶店、穴場の定食屋などを見つけることが出来ている。だから、必ずしも自動車での移動が楽しいとは限らない。もちろん、田舎へ行くに従って、車が便利になるということは認めざるを得ない。

膝の調子が、徐々に良くなるにつれ、スケボーで滑走するのも楽しくなり、やはり自分の持つ多趣味な部分というのは、自分に利益を与えてくれるようだ。最近では、幼なじみとも和解したような状態となり、くだらないラインのスタンプの打ち合いにもなる。やはり、このような温い関係というのは、歳を取るにつれて、とても重要になるということも実感している。ただただ、札束の枚数を数えてニヤニヤしていたところで、それを盗まれるかもしれないという「疑念」ばかりに追いかけ回されているのならば、それは「貯金」の仕方を間違えている。

来月から、再び英語講師として仕事が始まる。やはり知識としては鈍っている面を拭えずとも、今までの修羅場を考えれば、確実に何とかなるという自信がある。これは、自分勝手な自信ではなく、自分の中に蓄積してきた経験、言い換えれば、数え切れないほどこなしてきた授業の積み重ねから伝わってくる自信なのだ。このように、講師としての深みや広がりを考える時間があると、さらにゆとりをもった時間が過ごせるのだと切に思うばかりである。

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