思考力

愚人、聖に舞う

最近では、幼なじみと連絡を取り合いつつ、なかなかくだらない話で、チャットしている。これは、意味のないことかといえば、全くそのようなこともなく、実は、生きる上で人間にとって最も大切なことのようだ。孤独は人間の心身に悪影響を及ぼすことは、既に明らかになっていて、いくらお金があっても、人との関わり合いがない無人島に住んでしまっているのなら、お金というモノには、全く価値がなくなってしまう。だから、くだらない事を面白おかしくケラケラと笑い合えるような関係というのは、非常に有益なことなのである。

現在、深夜一時を少し回ったところだ。人間の睡眠時間の中で、今が最も覚醒レベルが低く、深い睡眠に入れるステージなのであるが、やはり、人間は眠りをコントロールすることはできず、私などは、薬で調整しなければ、眠ることさえできなくなってしまうのだから、非常にタチが悪い。この睡眠の件に関しては、明らかに有益なこととはいえず、精神医学界では、このづい民のリズムと深さを研究し、人間の精神状態に如何なる悪影響を与えるのかという研究が行われているくらいだ。

よくよく考えても、人間の心身というのは弱く、そこを最初に認めてあげなければならない。そして、いわゆる弱点を隠しつつ、自分の中で求められる強さが何なのか。自分の進歩を妨げている物事を超えなければいけない時に必要な気構えは何なのか。そのような事を、常に自分の心と体に問いかけておかなければ、裸で竹槍を持って大きな牙城を崩すことにしかならない。要するに、無謀だとも気付かない愚者に成り下がってしまう可能性だって出てきてしまうのだ。

こう考えると、勇者と愚者というのは、紙一重であり、馬鹿と天才が紙一重なのと同じように、何事においても、自分を客観視できるだけの視点がなければ、自分の能力を、自分に与えられている試練や課題に向けられないのである。聖なる自分が神聖な武器をもち、自分の守備範囲を冷静に広げられるような生き方というのは、とても大事なことである。そして、そんな華麗な動きというのは、案外、身近なところにいる友人と関わっている時に発見できることなのかもしれない。

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