思考力

どこでも対面ドア

時代は、リモートに移行していることは明らかなようだ。取り立てて、ITリテラシーの低いヒトタチや古い考え方を捨てられず変化を拒むヒトタチ以外は、リモートのコミュニケーションにもっと積極的になるべきである。今回のブログのネタ探しに、本日のYahooのニューストピックを見たが、見出しのニュースには、見事にコロナの話題について記事は、存在していなかった。もはや、コロナと現代人は、まるで癒着するが如く、生活の中に融合されたみたいだ。

昨日は、オンラインで雇用関係となった塾とのリモート研修であったが、場所は島根県である。縁もゆかりもない島根県と、4年前に引っ越してきた半分余所者の私が、インターネット回線で繋がっている。仮に、職業紹介の場所で、そのオンラインシステムの塾を見つけられなかったとしたら、私はその塾の求人を見落としていたわけであり、地図に弱い私は、そもそも島根県の位置すら怪しかったのだ。そう考えると、やはりオンラインで仕事を探し、全国、いや世界での規模で求人を見つけることができる時代に到達したのだ。

この事実を、プラスと捉えられるか否かは、スティーブ・ジョブスが、iPhone片手にスピーチをしている時に、スマホにするかガラケーにするかの議論と同じくらいナンセンスなものであると私は考えている。あと数年したら、オンラインの操作も簡単になり、瞬く間に定着するだろうし、zoomやSkype以外のオンラインシステムが登場してもおかしくはない。実際、larkやSobaなどの舞台でも、オンライン通信が可能な時代だ。スマホの電源を入れたら、物理的な距離という概念が一切消え去り、目の前位に人が出てくるというような、「どこでもドア」に近いシステムが開発される。これは、不可避だ。

コロナが世の中を脅威の渦に落としいれ、色々な種別に変身して襲ってくるのであれば、人間だってコミュニケーション手段を変化させて生きていくのは、至極もっともな選択であろう。もはや、5Gの流れが、第4次産業革命に向かって諸凸猛進している。すると、そこに対して振り落とされないように、時代にしがみつける人か否かで、その後の生き方さえ変わっていくのは当然であろう。コロナの脅威というものが、肉体的な攻撃ばかりではなく、時代の流れそのものに追いつけるか否かという問題まで引き起こしたのである。

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