思考力

ストレートな道とワインディングロード

スッキリと目が覚めるのだけれども、やることもないので再び横になれば、気持ちいいくらいの眠気が来て、さらに寝落ちしてしまう。目が覚めれば、何やら喉の痛みがあって、寒気までする。風邪をひいてしまったのだろうか。少なくとも、この部屋の淀んだ空気だけでも、入れ換えなければならないと思い、全ての窓と玄関の扉を全開にして記事を書いている。今日は、外気温が低いので、とても冷たい風が吹き込んでくるが、今作動しているルンバの仕事が終わるまでは、このキンキンに冷えた風を感じながら、ブログを書いていようと思う。

今日は、雨が降っている。さすがに、昨日のような霧雨ではないし、この状態で海岸の駐車場に突っ込むというのは切ないので、家で大人しくできる何かを遂行しておきたいと思っている。実は、昨晩、大きな仕事として残っていた、税理士への細かな書類と領収書などの送付の準備は整っていて、あとは発送するだけ。これを仮に怠ってしまったら、昨年に収めたふるさと納税は、全てただの「寄附」となってしまう。そこまでお金に余裕があるわけでもないので、ずっと胸の中で燻っていた書類を、全て揃えた上での任務終了となった。ポストに入れる前に、何か重大な事故に巻き込まれなければ、今年の寄付金の分だけ、住民税が控除される。仕組みを知れば知るほどやらなければ損をする制度だけれども、書類の不備があった時点で、そのメリットというか効果もゼロになってしまうので、本当に慎重に慎重を重ねておかなければならない。

カラオケにでも行こうかとも思うが、こんな喉の調子が悪い中で歌うほどの気力もないし、かと言って、先ほど書いたように、やらなければならないこと「ワースト1」である、返戻金の受領書も整えてしまったので、本格的にやらなけれべならないことがなくなってしまった。掃除もルンバがやってくれているし、フライング気味で昨日の夜にはゴミ出しを終えてしまっている。強いていうならば、さらに断捨離に磨きをかけたり、不用品に役割分担を与えてあげることくらいなのかも知れない。やはり、モノは使ってナンボの世界であるし、その用途すら見失ってしまった物なのであれば、容赦無く処分すべきなのだと思っている。

今、ルンバが仕事を終え、充電ステーションに帰っていった。目に見えないほどのホコリも吸い取ってくれたのかも知れないし、やはり床にゴミがないという状態を得られたのであれば、それだけで気分は落ち着いてくる。加湿器も、折りたたみの椅子の上で蒸気を発しているし、冷蔵庫の上ではサーキュレーターが回っている。換気して得たクリーンな空気が、部屋全体を駆け巡っている。それを考えたただでも、とても気持ちがいい。そんな気持ち良さを感じながら、コーヒーマシーンで作った熱々のコーヒをすすりながら、パソコンでブログを書いている。こんな贅沢もなかなかない。見る人から見たら、みみっちい生活なのかも知れないけれども、自分にとってはこの上ない自由を感じながら生活できている。大きな組織からの「解放」というのは、そのままその時の苦しみを胸に抱きつつ克服する気持ちを抱けたのであれば、それを「自由」と変換することだってできる。

つまり、考え方としては強引なことになってしまうのだろうけれども、今、苦しい気持ちを抱えながら、傍若無人な環境や黒い縦社会に従属しているのであれば、一目散に逃げ、そこから人生を立て直す努力をすればいい。もし、逃げた先に、自分の人生が何も続かなくねってしまったならどうすればいいのかと思うのであれば、それはその時に考えればいい。最悪なことといえば、不当な圧力をかけてくる相手や組織の攻撃の痛みに、慣れてしまい、何も感じなくなってしまうことなのだ。

今の自分は、とても自由に日々のスケジュールを組むことができる。もちろん、過去に起こってしまった胸を切り裂くような傷の痛みにのたうちまわることだっているし、起きた瞬間に黒歴史の時期の出来事がフラッシュバックしてしまうことだってある。これが仮に、今でも会社勤めの身分だったのであれば、今頃はどうなっていたのだろうかと、強く不安になってしまうこともあるが、もうそんなことはどうでも良い。だって、もう今の自分は従属や隷属の身分からは、逸脱できたのだから。今の自分の生活に対して、怠惰だとか、贅沢な暮らしをしているとか、揶揄したり、非難轟々の人が多くいることも事実であろう。でも、そんな人の悪口に、いちいち自分の生き方を苦しい方向へ向ける必要なんてない。大切なことと言うのは、自分の人生の安定であり、その安定感からくる心の満足感を大いに楽しむことであるとも思っている。まだまだ、人生のスタートは始まったばかりなのだ。

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