思考力

タイムパラドックス

明日、いきなり渋谷に行くことになったので、朝のバタバタしているときにブログを片付けるわけにもいかないと思い、夜のうちに書いておこうと思う。とはいえ、いつも通り、特記することはない「ヘイワ」な1日だった。それこそ、明日、いきなり東京へ、しかも精神科以外の病院へ行くことになったので、そのことを書いてもいいのだが、あえて今は書かないことにする。もはや、千葉の片田舎の病院の誤診には懲り懲りしているので、体のことに関しては、絶対に時間や体力やお金を出し惜しみすることなく、大都会で激戦を勝ち抜いている病院へ行くべきだ。おそらくこの考え方は、一生変わらなと思っっている。

今や、自動運転が、レベル1〜5の段階で、「4」にまで到達しているらしく、もはやハンドルやブレーキのない夢のような乗り物が、すぐそこまでやってきていると言っていい。それに、今回患ってしまった疾患に関しても、オンラインでの診察や、薬の受け取りができるシステムがある病院も少なくなく、明日、予約を取った病院であれ、もはやパソコンからの予約ではなく、スマホのLINEからでしか予約を受け付けてもらえないシステムであった。これを、情報やAIの進化と捉えるのか、「顧客囲い込み作戦」と考えるのかはわからないけれども、昭和の時代のような、スマホもないのに、午前に出した診察券の順番が、午後になって呼ばれるという、病院内のどこかで怒号が飛ぶようなことはなくなっていくのだろう。それに、怒号を出したところで、それをSNSで拡散でもさせられたら、重いペナルティーとして、一生の間、十字架を背負うことにもなってしまう。

今日、車の中では、相変わらず投資の勉強をした。これも、スマホの進化が加速となって、どんどん「耳」での勉強となっている。紙媒体の本を買って読んではみたものの、活字ではなかなか理解できずに本を閉じてしまうのだが、やはり音声として認識する経済用語などは、読むよりも「読んでもらう」方が明らかにラクだ。色々と興味を持って、文系でも理解できる数学の学習法や、株の初心者向けの本や、漫画で投資をする方法などを本で読んでも、やはりチャートや数字ばかりに意識が向いてしまいつつ、そのチャートを読み込むのがめんどくさくなって、そのまま読解をやめてしまう。まるで、かつてのセンター試験の問題のようだ。

そもそもの話、もはや紙媒体で経済の勉強をしたとしても、すでに知っていることのオンパレード状態で、常に耳を慣らしておけば、これほど活字を拾い上げることが虚しいことなのかと、強く実感してしまうほどだ。文系数学受験だった自分とはいえ、やはり数式や表や関数に関しては、強い苦手意識がある。それでも、経済の流れを知るためには、その情報を手に入れるための基盤となる知識が必要なのだ。どんなにサッカーの素晴らしさを知りたくても、そのルールがチンプンカンプンでは、全く身につくモノが無いのと同じなのである。

やがて、家につけば、パソコンは使わずに、タブレットで情報検索をしつつ、たまたま出てきた「断捨離」「掃除」のオススメ動画が現れ、それをみていたら、いつの間にかiPad片手に、てきぱきと掃除を始めていた。これまた、活字では上がらないモチベーションの効果が出てきている。これまた、人間は活字を追ってこその生き物だという念癖をつける者も出てくるだろうが、そこはあくまでもケースバイケース。一番問題なのは、昔のやり方に固執するあまり、変化を極端に恐れ、それを潰そうとして自らを守ろうとしてしまうことだ。そのような保守的な人間には、時代の流れを乗りこなす技術はつかない。従来の方法がうまくいくためには、従来の方法を覆す新しい方法の模索をするという逆説的な考え方が必要なのだ。

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