思考力

ソロバン先生

明日は、東京に行くので、ブログを書く時間がなくなるかもしれないので、フライングブログというか、同じ日に2記事書いたと思ってほしい。そもそも、誰に頼まれたわけでもない「毎日更新ブログ」だが、やはり自分の中で、絶対に継続したいという気持ちが強く、頑固者の私からすれば、継続することと深みのある文章を書くという両軸を支えとした記事を作成していきたいと思っている。自分の中の自分ということを考えることが多くなってきている現在。これに恐怖を感じるのではなく、現実の自分と自身の中に眠っている自分の歯車が一致したときに、前へ進む力は限りなく強くなっていくはず。そのように考えられれば、毎日ブログを綴ることに関して、もっと積極的になれれば、お互いをシンクロさせられる契機になるのではないだろうか。

シンクロを通り越した状態である「シンギュラリティ」に関しては、機械が人間を超えるという恐ろしい状態が近づいてきた訳で、現在の私の状態で言えば、内なる自分が現実の自分を超えることと同じなのかもしれない。まさに、現在話題沸騰中である「Chat GPT」などは、その傾向が顕著で、自分が投げた質問を、AIが自動で回答してくれる訳だから、もはや現在の自分であるはずの「ニンゲン」のやるべき事が激減していくわけである。もちろん人間が不要になるということは極論とはいえ、今ある仕事の多くが機械に交わられ、人間のすべき仕事というのが、全く新しい技術革新に変わるようになるはずだ。

今、こうやってキーボードを弾きながら書いているブログであれ、近い将来には、私と機械が会話をしながら、「あとは記事にまとめておいてくれ」と言って、勝手にブログが完成しているような時代も、もうすぐそこまで来ている。これを、100年先の話だとか、そんな時代など来るわけがないなどと悠長なことを言っていれば、そのまま今の時代に迫っている高速な流れについていけなくなり、結局のところ、自分自身が淘汰されることになっても不思議ではない。時間の流れというのは、やはり残酷なのだ。

携帯電話が普及した。インターネットを使うことが当たり前になった。そして、今、AIが自分の世界を変えようとしている。新しい技術革新には、必ずエラーが伴うものだが、SNSなどで必ずアンチが出てくるのと同様、アップデートされる新しい流れの「重箱の隅」をつつくようになったのであれば、やはり時代に淘汰されてしまう。これは、悲観的に物事を考えている訳でもなければ、誰かの受け売りでもない。新しい変化が来ていることを認め、その流れが自分にとって、どのように好反応を起こしつつ、如何なる弊害をもたらすかについて、熟考すべきときに来ている。

英語講師として血反吐を吐いてプリントを作っていた今までの自分であっても、英語の長文を機械に読み込ませ、「問題と解答を作っておいて」と打ち込めば、私が自作で作るよりも正確なプリントの完成だ。昔、ソロバン教室という塾のような場所があった。皆、こぞって通っていたが、電卓が主流になったて消えていったことは明らかであり、エクセルの表計算があれば、電卓よりももっと緻密で正確な計算ができる。そこにAIの力が入り込んできている現状なのだから、早め早めに自分を時代の中に馴染ませていくことが不可欠なのだ。

批判することが美徳と考えることも悪くはない。むしろ、客観的に物事を判断するときに、少し身構えておくという姿勢は貫くべきだ。ただ、これから「シンギュラリティ」の時代へ向かっていくのであれば、その一歩手前の段階で、自分が機械に支配されないような姿勢で機械を「歓迎」するという姿勢も、同じくらい大切なことだ。

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