思考力

段ボール運び屋

午前1時には目が覚め、草木も眠る丑満時には、既に起きている。これでは、フクロウだって驚きだ。とにかく、もっと長く眠れる薬でないと、体にガタが来ることは間違いない。そもそも先ほどゴミ出しに行ってきたのだが、今日は資源ゴミの日だと思っていたが、二日ほどフライングをしてしまっていた。この記事を書き終えたら、さっそく取りに帰らなければならない。寝ぼけつつ「愚」である。こんな時に、大きなミスがないようにしたい。間違っても、睡眠薬を甘く見て使用するなど、持ってのほかの厳禁だ。

就職に関しては、今は、「御祈りメール」しか来ないものの、そのうちどこかの会社が拾ってくれるだろうと思っている。塾講師歴が20年以上あれば、それなりのことができるし、そもそも高校受験の問題などは、自分から積極的にプリントなどを作成しないのであれば、単純な問題しかないのだ。2つほど難点をあげるとすれば、履歴書に穴がボコボコ開いてしまっていることや、お年頃の中学生のお相手ができるのかどうかということだ。仕事の作業に問題はなけれど、相手とする人間の心の距離というのが、塾講師の一番の難しさではないだろうか。

人間と人間が何かを創造しようとする時、良くも悪くも必ず衝突が生まれる。良い方向性に乗った流れができるのであれば、それはそれは素晴らしいことであり、逆ならば生きるのが難しくなってくる。社会人にとっての多くの時間というには、上下関係と横とのつながりが出てくる訳だから、この人間同士に亀裂が入ると、元の状態に戻すことが非常に困難になり得る。難しいタスクを要求された時に、自分の力を良い意味で手抜きできる状態にし、その中で長く自分の環境に居続けられるかということを理解していなければならない。この「良い意味で」というのは、全力疾走して自分を見失ってしまうことや、仕事のできない者へ対する怒りなどが出てくると、それはそのまま自分に対して牙を向いてしまうからだ。

ここまで書き上げて、ゴミ出しをしてしまった段ボールを家に戻してきた。スーパーの集積所に持っていけば問題ない。筆が進まないというわけではないのだけれど、毎日が同じような日々の連続で、日々物足りない。若い頃とは比較できぬほどの興味関心のアンテナが狭まってしまったのだろう。いや、私はいつだってやりたいことはある。しかしながら、経済的に苦しくなってしまった現状にうなだれているだけだ。早いところ仕事を見つけ、いい意味で今の生活にはない刺激が欲しいものである。

-思考力