思考力

夢の中の黒い動物

全く、なんて夢を見たのだろう。私が、高校へ行くときに通っていた公園で、ガキの使いの企画があり、そのメンバー達がゴリラに追いかけられるという夢。これは、とにかくリアルで、真っ黒なゴリラが、どんどん距離を縮めて襲いかかってくる。もちろん、私も逃げるのだが、3回4回と廻って来る。その悪夢の波動が、妙にリアル。ゴリラが檻の中を挟まないで向かってくる恐怖は、酷だった。Googleで検索をかけても、ゴリラの夢というのは、あまり良いものではなく、上司などから圧力をかけられていることを示している云々カンヌンの夢占いだった。

やはり、薬のせいなのだろうか。電子レンジの上に座ってしまって、それを破壊してしまうような状態から抜け出せたと思いきや、今度は、記憶が曖昧になってくるような現象が多く、千葉に来て愛用しているコーヒーメーカーに入れる粉末が、1サジだったのか2サジだったのか忘れてしまった。ここまでくると、自分の存在すら忘れてしまいそうだ。先月の薬の配合が、あまり上手くいかなかったということになるが、この花粉舞い散る春の時期に、少し奇妙な人が多く出現するのと同じようなことはしないという自覚はある。

やはり、1サジでは足りなかったのか、今日は、煎れたてのコーヒーは、やけに薄く感じる。2サジだったような気もしないでもないが、昨日は昨日で、2サジで濃いコーヒーが出来上がってしまったので、いずれが正しいのかは、よく判らない。明日、ちょうど受診日なので、主治医に相談しよう。今回も受診の予約の時間に間に合うのか不安でもある。とにかく外房から都心部に移動するのは、骨が折れる。ただ、明日は、私と同じ障害を持つ人たちのアートを観に行く日なので、その時間までに何とか間に合わせなければならない。

最近というか、企業で勤めていた頃のことを思い出して、腹の底から怒りが込み上げていくこともある。ただ、これだって物事の側面の光の当て方を考えれば、十分に幸せな人生を歩んでいるとも言える。明日を期待できるし、過去の嬉しかった体験を思い出す余裕だってある。これを、人生で歩んできた素晴らしい経験なのだと考えられれば、自分の人生は、悦びに満ち溢れた道のりであったと言える。少なくとも、現在、どこにも所属していない自分には、上司も何もいないのだから、ゴリラの夢は的はずれだったのだ。過去の抑圧された上司からの理不尽な命令を思い出したのだとしても、たまたま夢の中でフラッシュバックしたトラウマなのだと解釈できる。真っ黒な黒ゴリラを、そういうふうに考えることで、人生がハッピーモードへ変化していくのだと思う。

-思考力